saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 内なる導き 7️⃣

(…だからまず、深い浄化が必要だ。 そうすれば、このフロイト的無意識は 徐々に静まる。)


それは ちょうど、泡が河底から 水面に上がってくるのに似ている。
自分の 存在の底から泡が上がってくる。

そして意識的なマインドに到来する。
すると 深い平安が現れる------「これ以上に正しいものはない」という感覚が現れる。

でも それが起こる前に必要なのは、フロイト的無意識から解放されることだ。

すっかり ゆだねた状態にならないかぎり、これは起こらない

最奥の存在は、まったく非暴力的なものだから、自己主張はしない。
こちらから 招くほかない。


ここが大事だ。
最奥の存在は 自己主張しない。

フロイト的無意識は 自己主張したがるーーー絶えず 自己主張を図っている。

そしてあなたは、つねに それを押さえ込んでいる。
それが 違いだ。

フロイト的無意識は、自己主張を求め、活路を求め、あなたを どこかに導き、操りたがる。
あなたは 抵抗し、それと闘う。

しかし 真の無意識、導き手は 強引ではない。
こちらが受け入れれば、こちらが招けば、祈りに満ちていれば、ちょうど招待客のようにやってくる。

だから ゆだねの状態が必要だ。
そうして初めて それはやって来る。
それがやって来るのは、「もう用意が できたようだ。
もはや否定されたり、拒まれることはあるまい。
自分は きっと歓迎される」と思われるときだ。

だから ふたつのことをする必要がある。

ひとつは、フロイト的無意識の浄化であり、もうひとつは、真の導き手、真の無意識に対する ゆだねと 明け渡しの訓練だ。

この ふたつが できれば、違いが わかるようになるだろう。


違いは、実際のところ、教えられるものではない。
それは おのずとわかる。
それが 起これば、おのずとわかる。

たとえば、体が 痛むときと、体が 健康であるとき、それを どう区別するか。

頭が 痛いとき、それを どのように感じるか。

その違いは 何か。

あなたは ただ それを知るのみだ。
定義は できない。 ただ 知るのみだ。

頭痛について、健康について、あなたは 知っている。


真の導き手は、つねに 健康な感覚を与え、フロイト的無意識は、つねに 頭痛の感覚を与える。

それは、騒ぎ であり、内的葛藤 であり、苦悩 であり、抑圧された 痛みだ。
それがやってくると、いつもあなたは そこらじゅうに苦痛を感じる。


この フロイト的無意識のせいで、本来 苦痛でないものが、しばしば苦痛となる。
たとえば セックスだ。

社会の抑圧のせいで、セックスは 苦痛を伴うものとなっている。
自然な生活の中で、この上なく至福に満ちたものがセックスだ。
ところが それが苦痛を伴うものとなっている。

性行為を始めると、焦燥を感じ、罪悪感を持ち、最後には衰弱を感じる。
それで、もう二度と セックスはするまいと決心する。
でも その原因は、自然なセックスに あるのではなく、無意識のせいだ。
セックスが苦痛を伴うもの と なっているせいだ。

あまりに抑圧されているせいで、セックスが醜悪で 苦痛を伴うものとなっている。

本来ならば、セックスは この上なく自然なエクスタシーだ。

もし子供に、「セックスは罪悪だ」と 教えなければ、彼は それを楽しむ。
そして セックスのたびごとに、深い健康が体中に みなぎるだろう。


男の方が女より 健康な感覚を持っている。
これもまた 抑圧のせいだ。
女の 抑圧のほうが大きい。

誰も 男が童貞であることを 求めないが、女については 誰もが------童貞でない男でさえ、自分の結婚する相手には 処女を求める。
道楽者(プレイボーイ)でさえ、自分の結婚相手には 処女を求める。


女の無意識は 男の無意識より 抑圧されている。
だからこそ、オーガズムに達する女の数が少ないのだ------。
それは西洋の話ではないが、東洋では、セックスに何らかの歓びを感ずる女は、せいぜい 五パーセントほどだ。
九十五パーセント女は、それに うんざりしている。

だから 行者(サドゥー)や僧侶が「セックスは罪だ」と教えると、女たちは いつもそれに賛同する。
女たちは 僧侶のまわりを幾重にもとりまくーーーこうした話は 女たちにうける、「まったくその通りだわ」と。

女たちは あまりに抑圧されているため、セックスの至福を何も知らない。
それほど抑圧されている。


インドでは、性交中、女は 動くものでないとされている。
死体のように 横たわっていないといけない。
もし 積極的になったりすれば、相手の男は疑いの目を向ける。
セックスを楽しむ ということは、良い女でない というしるしだ。
良い女は 楽しまない。
東洋では こう言われているーーー結婚したいなら良い女と結婚しろ、また、楽しみたいなら悪い女と仲良くなれ。
つまり、セックスを楽しむのは悪い女だけだ。

これは不幸なことだ。

女は 動いてはいけない。
積極的になってはいけない。
死んだように じっとしていないといけない。

これで どうしてオーガズムに達するだろうーーーエネルギーが 動いていないのに。


自分が楽しくなければ、女は必ず 夫を敵視し、夫のことを 悪者だと考えるようになる。
毎日のように インドの女たちが 私のもとにやってきて、もうセックスは うんざりだ、自分の夫は いつもいつもセックスを強要すると訴える。
彼女らは それが好きでない。
嫌悪している。

でもなぜ 夫たちは、それほど嫌悪していないのか。
なぜ 女たちは嫌悪するのか。
それは、女の無意識のほうが 男より性的に抑圧されているからだ。


抑圧すると、セックスは 苦痛となるーーー頭痛となる。
抑圧が 元凶だ。
抑圧すれば 苦悩となる。


何であっても至福となる。
表現するのだ。
抑圧してはいけない。


人々が知っているのは、このフロイト的無意識だけだ。
真の 無意識、タントラ無意識については知らない。
だからこそ 人々は恐れるのだ。
恐れていれば、ゆだねることができない。
恐れていれば、コントロールを失うことができない。

自分でも承知しているーーーもしコントロールを失えば、たちまち抑圧された本能に 取って替わられる。
たちまち 今まで抑圧してきたものが マインドに現れ出る。

だから あなたは恐れる。

その恐怖を 除去するためには、まず浄化が 必要だ。
そうすれば、ゆだねられるようになる。

ゆだねることが できたら、ごく静かな力が 意識的なマインドに溢れ始める。

そこに感じられるものは、健康であり、安らぎだ。

そして あなたはきっと、
「すべては良い、自分は 祝福されている」と 感じるだろう。


8️⃣へ 続く