saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第六章 内なる導き 1️⃣

「いくつかの技法は、あまりに上級者向けのように思われますが」

最初の質問
「この百十二の瞑想法のうち、いくつかの技法は、技法というより最終結果ではないかと思えます。
たとえば、『宇宙意識となる』とか『それになる』とか。
こうした技法の場合、それを実践する予備段階として、別の技法が必要なのではありませんか。
この種の技法が対象としたのは上級者、つまり簡単な示唆で到達できるような人間だったのではないでしょうか」。



この種の技法が対象としたのは、上級者ではなく、きわめて無垢な人間だったーーー単純で、無垢で、信の深い人間だった。

そうした人間の場合、ただの示唆で充分だ。

あなたの場合は 信がない。
信頼することができない。
だから、何かをする必要がある。
何かをしないかぎり、何も 起こらない。

あなたにとっては、まず 行動が第一だ。
何もしていないときに 突然 何かが起こったりしたら、きっと恐くなるだろう。
とても信じられないだろう。
迂回してしまうかもしれない。
心に留めさえしない。


あなたの場合、何かをしないかぎり、自分に起こっていることがわからない。
これは エゴのせいだ。

無垢な人間、開放的な心の場合は、ただの示唆で充分だ。

そもそも 最奥の存在は、未来に 達成されるものではない。
それは 今ここにある。 すでにある。

達成されるべきことは、今この瞬間、 あなたの中に 現に存在している。


何の努力もなく 信頼できれば、それは 開かれる。
それは 時間の問題ではない。
頑張って 獲得するものではない。

決して、どこか遠くにあって、そこまで旅する 必要があるわけではない。
それは あなただ。
それを神と呼ぶ人も いるだろうし、ニルヴァーナと 呼ぶ人もいるだろう------名前は何であれ、“それ” は すでにあなただ。


2️⃣へ続く