saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

タントラ秘法の書🔟「空の哲学」第四章

第四章ーーー第二の質問 2️⃣
(…誰かがブッダに、「あなたは誰ですか」と尋ねた。ブッダは笑った。そして、「それを言うのは 難しい」と言った。)


でも男は 言い張った。
「何か言えるはずです。
あなたは ちゃんと居るのですから。
何か言えるでしょう。
あなたは ちゃんと居るのですから。
何か意味あることが語れるでしょう。
あなたは ちゃんと居るのですから」

でもブッダは言った、
「何も言えない。私は居る。いや、そのように言うことさえ本当ではない」

すると男は 別の方向から尋ねた、
「あなたは 男ですか、女ですか」

ブッダは言った、
「それを言うのは難しい。
かつて私は 男だった。
そのとき、私の全存在は 女に引き付けられた。
私が 男だったときには、私の心は 女でいっぱいだった。
ところが、私の心から 女が消え失せたとき、それと同時に、私の男も 消え失せた。
もはや私には 何も言えない。
私には 自分が誰だか わからない。
定義するのは 難しい」


二元性が なくなると、何も定義できなくなる。
だから、「自分は賢くなった」と 感じるとしたら、まだ 愚かさが 残っている ということだ。
また、「自分は 至福に満たされた」と 考えるとしたら、まだ 当人が 苦悩の世界にいる ということだ。
また、「自分は すこぶる健康だ」と 感じるとしたら、まだ病気になる可能性がある ということだ。

つねに反対のものがつきまとう。
一方を持ち出せば、他方がついてくる。
だから どちらも捨て去ることだ。

それを 捨て去ることができるのは、両方が 出会ったときだ。


だから 宗教の 基本的な方程式は、いかにして 内側の対立物どうしを 出会わせ、それによって 両方が跡形もなく消え失せるようにするかだ。

対立物の消失とともに、あなたも消え失せる。

今のような あなたは、もはやいなくなる。

何か まったく新しく、未知のもの、想像もできないものが出現する。
それこそがブラフマン(梵)と 呼ばれるものだ ーーー神と 呼んでもいい。

ブッダニルヴァーナという用語を好んだ。
ニルヴァーナという単語は、在ったもの すべての止滅、あらゆる過去の 止滅を意味する。

この「新しいもの」は、過去の経験や知識によっては 定義できない。

この 新しいものは 定義不能だ。


無智と悟りも また二元性の一部だ。

私たちの目には、ブッダは 悟っているように見える。

でも、それは 私たちが 無智の中にいるからだ。

ブッダ自身にとっては どちらでもない。

彼にとって、二元性の立場から考えるのは 不可能だ。



タントラ秘法の書🔟「空の哲学」

講話 / OSHO
翻訳 / スワミ-アドヴァイト-パルヴァ (田中ぱるば)
発行 / 市民出版社