saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

タントラ秘法の書🔟「空の哲学」by OSHO

第三章 第二の技法 2️⃣
(…途方もない覚醒が現れる。それは想像もできないほどだ。)


もし闘ったら、きっと負けてしまう。
たとえ 負けなかったとしても、たとえ欲求を負かしたとしても、結局は 同じことだ。
何のエネルギーも残っていない。
勝っても負けても、挫折を感じるだけだ。

どちらにしても 結局は消耗する。
その欲求は、あなたのエネルギーを相手に闘い、あなたもまた その同じエネルギーを相手に闘う。

欲求のエネルギー源と、あなたのエネルギー源は 同じだ。
だから 結果がどうあれ、その源泉は 消耗する。

しかし、欲求が 始めのうちに消失し、何の葛藤もなければ------。
このことが基本だ。
何の闘いもなく、ただ見つめる。
また、その眼差しも 敵対的なものではいけない。

破壊しようという心や 敵意のない、全面的な眼差し------その 全面的な眼差しの強烈さによって、種子は焼かれる。

そして、その欲求、生じようとしていた欲求が、大空の中の煙のように消え去るとき、後には 途方もないエネルギーが残る。

そのエネルギーこそが 至福だ。
そこには、それ自身の美しさ、優美さがある。


自分の欲求と闘い続けている い わ ゆ る 聖者たちは、どれも醜い。
その「醜い」という意味は、まったく狭量だということ、闘っている ということだ。

その人間性には、何の優美さもない。
彼らは いつも消耗している。
エネルギーがない。
エネルギーが すっかり、内側の闘いに吸い取られている。

ブッダは まったく違う。
ブッダ人間性に現れる 優美さのもとは、消失した欲求にある ーーー 葛藤や 闘いや 内側の暴力なしに消失した欲求にある。


“自分の全意識をもって、欲求の冒頭「知ること」の冒頭において、知る。”


まさにそのとき、ただ知り、見つめる。
ほかのことはしない。
ほかには 何も必要ない。

唯一 必要なのは、あなたの 全存在が そこにあるということだ。

あなたが 全面的に そこにいるということだ。


これこそが、暴力なしに 究極の悟りに到達する 秘密のひとつだ。
また 決して、暴力によっては、神の王国に入れない。
その扉は、いくら叩きに叩いたところで、決して 開かない。
自分の頭は割れるかもしれないが、扉は 決して開かない。


もしあなたが 内側深くにいて、非暴力で何物とも闘わなければ、扉は つねに開かれている。

今まで 閉じていたことはない。

エス
「叩け、そうすれば扉は開かれる」と言うが、私に言わせれば、叩く 必要さえない ーーー「見よ、扉は開いている」。

扉は 今まで、つねに開いていた。

決して 閉じていたことはない。

ただ、深く、全面的な眼差しが必要なだけだ



タントラ秘法の書🔟 「空の哲学」

講話 / OSHO
翻訳 / スワミ-アドヴァイト-パルヴァ (田中ぱるば)
発行 / 市民出版社