saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「空の哲学」by OSHO (市民出版社)

2️⃣ Pp 270 〜 273


この第二の技法は言う、
“優美な者よ、遊べ。”
生を そっくり遊びとする。
“宇宙は空っぽの貝殻、その中であなたの心は無限に戯れる。”
あなたの心は 無限に遊び続ける。

すべては、空っぽの 部屋の中の、夢のようなものだ。

瞑想中に 心を見つめるーーー心の戯れを。
ちょうどそれは、子供が 溢れんばかりのエネルギーで、遊んだり 飛び回ったりしているようなものだ。

いろいろな思考が 跳ねたり戯れたりしている。
ただの 遊びだ。
それについて 深刻になってはいけない。
たとえ 悪い思考が現れても、罪悪感を持ってはいけない。
また、良い思考が現れてもーーーたとえば、自分は人類に奉仕したい、そして全世界を変容させたい、そして 地上に天国をもたらしたい云々ーーーエゴを膨らませてはいけない------自分が偉くなったと思ってはいけない。

それもまた 心の戯れだ。

ときには 下降し、ときには 上昇する。
ただ、溢れるエネルギーが、いろいろな形態をとっているだけだ。
心は、まさに 溢れだす泉にほかならない。


遊び 戯れよと、シヴァは言う。

“優美な者よ、遊べ。”

遊ぶ者の姿勢は、活動を楽しむということだ。
活動それ自身に 価値がある。
そこに 功利的な動機はない。
あれこれ 算段していない。
たとえば 商人を見てごらん。
何をするにも、つねに利益を算段しているーーーそこから 何が得られるか 考えている。

客が ひとりやって来る。
でも 客は 人間ではない。
彼から どんな利益が得られるか------。
客は ただの手段だ。
どうやって利用するか------。
奥深くで 算段している。
どんなふうに語り、何をするか------。
相手を利用し、搾取するために すべてを計算する。

その関心は 相手の人間にない。
その関心は 取引そのものにない。
その関心は どこにもない。
その関心は、 ただ未来に、利益にあるのみだ。


東洋の村々では、いまだに、たとえ商人であっても、ただの利潤追求者ではない。
また、客も ただ物を買いにくるのではない。
互いに 楽しんでいる。
私は 祖父のことを思い出す。
祖父は 布屋だったが、私は 首を傾げた。
家中が 首を傾げた。
なぜなら、じつに楽しげだったからだ。

何時間も 客と 掛合いをしている。
ときには、実質 10ルピーほどのものを、50ルピーと言ったりする。
それが無茶なことは 自分でも知っている。
客のほうも 知っている------だいたい10ルピーくらいのものだろうーーー。
そこで客は 2ルピーから始める。
それから いつまでも値段の交渉をしている。
何時間もだ。

私の父や 叔父たちは腹を立てて言う、
「いったい何をやっているんだろう、始めから値段を言えばいいのに」


でも 祖父には顧客がいた。
顧客たちは 店にやって来ると言う、
「お祖父さんは どこにいる。
お祖父さんが相手だと、ゲームになる、遊びになる。
1ルピーや 2ルピー 得しようが損しょうが、そんなことはどうでもいい」


互いに それを楽しんでいた。
その行為そのものが、追求するに値していた。
ふたりの人間が、それを通じて 触れ合っている。
ふたりの人間が ゲームをしている。
互いに それがゲームだと知っている。
定価というものがない。


西洋では今、定価が付けられている。
それは 人々が計算高く、利潤指向になっているからだ。
時間の無駄だというわけだ。
そんなものは 瞬時にかたづく。
手間隙かける必要はない。
正確な値段を書いておけばいい。
どうして 何時間も争う必要がある。

ところが、そうするとゲームは失われ、すべては事務的になる。
機械にだってできる。
商人も いらないし、客もいらない。


こんな話がある。
ひどく多忙な 精神分析家がいた。
あまり 患者が多いので、ひとりひとりに接している暇がない。
そこで彼は、それぞれの患者向けに テープを吹き込んだ。
そのテープが 患者に向かって、必要なことを語る。


彼には 大金持ちの患者がいて、定期的に 彼の診察を受けていた。
あるとき、彼が ホテルに入っていくと、驚いたことにロビーに その患者が座っている。
そこで 彼は言った、
「いったい ここで何をやってるんです。
診察時間じゃありませんか」。
患者は言った、
「私も忙しいもんだから、テープに踏み込んでおきました。
テープレコーダーが 二台で語り合っていますよ。
あなたの言うことはみな、私のテープレコーダーが録音しているし、私の言うことはみな、あなたのテープレコーダーが録音している。
そうすれば 時間が節約できる。
それで ふたりとも自由だ」


あまり 計算ばかりしていると、人間は 消え失せ、どんどん機械的になっていく。

インドの村々では 今もなお、値段交渉が続いている。
それは ひとつのゲームであり、楽しむに値するものだ。

それは 遊びだ。
ふたつの知性どうしの 掛け合いであり、ふたりの人間の 深い触れ合いだ。

それは 効率を求めるようなものではない。
ゲームは、 決して 効率を求めはしない。
ゲームの中では、あなたは 時間を気にかけない。

そして 何が起ころうとも、起こることを その瞬間に楽しむ。

遊び心は、瞑想の いちばん基本的な事柄のひとつだと。

ところが 私たちは事務的だ。
そのように 訓練されてきた。

だから、瞑想しているときでも 結果のほうを見ている。

そして何が 起ころうと、それに不満足だ。



3️⃣に 続く