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「OSHO 講話/抜粋---」

呂祖師は言った。
ところで、
点検できる
確証の体験が三つある。
その第一は、
瞑想の状態に入ったときに
神々が谷間にいる
という体験である。
人々の話し声が
数百歩も離れたところから
響いてくるように聞こえ、
そのひとつひとつが
ひじょうに鮮明である。
だが、
その音はすべて
谷間でこだまが
反響するように聞こえる。
いつも
聞くことができるのだが、
自分自身の声は
けっして聞こえない。
これが
「神々が谷間にいる」
といわれる体験である。

呂祖は、
三つの確かな
手応えのあるしるしについて
語っている。

彼は最初のしるしを
「神々が谷間にいる」
と表現している。
歩んでゆく者たちは――
あなたがたはみな
瞑想に向かって歩んでいる――
この奇妙だが
とてつもなく美しい空間に
出くわすことになる。

瞑想が
あなたの内側で
結晶しはじめた
最初のしるしは
「神々が谷間にいる」
と述べられている体験だ。

この隠喩(メタファー)は
何を意味しているのだろう?
それは瞑想が
あなたのなかで
起こりはじめると、
たちまち
全存在が谷間となり、
あなたは丘の頂上に
立つということだ。
あなたは上昇しはじめる。

全世界が
遥か遠くに見下ろせる
深い谷間となり、
あなたは
日の照る丘の上に坐っている。

瞑想は
あなたを上昇させる――
物理的にではなく、
霊的にだ。
その現象が起こるときには
はっきりわかる。
それらがしるしになる。

瞑想しながら
内側に入ってゆくと、
突然、
あなたは自分と
周囲の騒音のあいだに
大きな距離が
生まれているのに気づく。

あなたは
雑踏(マーケットプレイス)の
只なかに
坐っているかもしれないが、
突然、
自分と
騒音のあいだに
すきまが
生まれているのに気づく。

ほんの一瞬前には、
これらの騒音は
ほとんどあなたと
一体化していた。
あなたは
そのなかにあった。
今やあなたは
それらから
遠ざかりつつある。

あなたの身体は
前と同じようにそこにある。
山に出かける必要はない――
これは内側にある
本当の山を見いだす方法だ。
これは内側にある
ヒマラヤを見いだす方法だ。

あなたは
深い静けさのなかへと
入ってゆく。

すると、
すぐそばで
聞こえていた騒音が――
そこには
ひどい混乱があった――
にわかに遠ざかり、
後退してゆく。

外の世界は
すべてこれまで通りで、
何ひとつ変わっていない。
あなたは瞑想をはじめた
同じ場所に坐っている。
が、
瞑想が
深まってゆくにつれて、
それが感じられてくる。
外界の事物とのあいだに
距離が生じてくるのが
感じられる。

人々の話し声が
数百歩も離れたところから
響いてくるように聞こえ……

まるでふいに
世界があなたから
遠ざかってしまったかのようだ。
あるいは
あなたが世界から
遠ざかってしまったかのようだ。

だが、
ひとつひとつの思考は
きわめてはっきりとしている。
外側で語られている言葉は
すべて
きわめてはっきりしている。
実のところ、
かつてなかったほど
はっきりしている。
これが瞑想の
不思議な働きだ。

あなたは
無意識に
なってゆくのではない。
というのも、
無意識のときにも
騒音は消えてゆくからだ。
例えば、
クロロホルムを嗅がされれば、
あなたはこれと同じ現象が
起こってゆくのを感じるだろう。

騒音が
どんどん遠くへ遠くへ
遠ざかってゆき……
やがて消えてゆく。
が、
あなたは無意識に
なってしまっている。
何ひとつはっきりと
聞くことはできない。

瞑想のなかでも
まったく同じことが起こるが、
違いがある――
騒音が
どんどん遠ざかってゆくが、
ひとつひとつの音が
ひじょうにはっきり聞こえてくる。
かつてなかったほど
はっきりと聞こえる。

それは
目撃者が
生まれてきているからだ。

最初は
あなたも騒音の一部と
化していた。
あなたは
騒音のなかに失われていた。

今やあなたは
目撃者、観察者であり、
あまりに静かなので、
あらゆるものを
ありありと鮮明に
見ることができる。
騒音は遠くにあるが、
かつてなかったほど
鮮明に
はっきり聞こえてくる。

瞑想しながら
音楽を聴いていると、
これが起こる。
まず音楽が
遠ざかってゆくのが
感じられる。
つづいて、
それと同時に、
ひとつひとつの音が
かつてなかったほど
鮮明にはっきり聞こえてくる。

以前は、
音と音が混ざり合い、
互いに重なり合っていた。
今や、
ひとつひとつの音が
みな原子のように
きわだっている。

ひとつひとつの音が
分離している。

人々の話し声が
数百歩も離れたところから
響いてくるように聞こえ、
そのひとつひとつが
ひじょうに鮮明である。
だが、
その音はすべて
谷間でこだまが
反響するように聞こえる。

そして、
三つめのことが感じられる。
音が直接ではなく、
間接的に聞こえてくる。
まるで音そのものではなく、
こだまのように。

音はだんだん希薄になり、
その実体が失われる。
音はだんだん実質をなくし、
その物質性が消える。
それらは
もはや重くなく、
軽い。

その重力のなさを
感じることができる――
それは
こだまのようだ。

全存在が
こだまのようになる。

ヒンドゥー教の神秘家たちが
世界を
「マーヤ」―まぼろし―と
呼ぶのはそのためだ。

「まぼろし」とは
非現実という意味ではなく、
たんに
影やこだまに似ている
ということだ。
それは
実在しない
という意味ではなく、
たんに
夢に似ている
ということだ。

影のようであり、
夢のようであり、
こだまのようだ――
そのように感じられる。
それらが現実だとは
感じられない。

全存在が夢と化し、
ひじょうに鮮明に
くっきりと見えるのは、
あなたが
目を見張っているからだ。
夢まぼろしのようなのは、
あなたが
目を見張っているからだ。

最初、
あなたは夢のなかに
我を忘れていた――
注意を怠り、
これが
現実だと考えていた。

あなたは
自分の想念(マインド)に
同一化していた。
今はもう想念に
同一化することなく、
分離した実体が
あなたのなかに生まれている――
それが注意深く見守る状態、
サクシだ。

いつも
聞くことができるのだが、
自分自身の声は
けっして聞こえない。

そして
四つめのことが感じられる。

あなたはまわりにある
すべてのものを
聞くことができる――
人々が話したり、
歩いたりしている。
子供たちが笑っている。
誰かが泣いている。
鳥が鳴き、
車が通り過ぎる。
飛行機や汽車……
あなたは
あらゆる音を
聞くことができる。

が、
ただひとつ例外がある――
あなたは
自分自身の声を
聞くことができない。
あなたは完全に
消えてしまっている。

あなたは空(から)であり、
ひとつの
スブーティになりつつある。
あなたはもぬけのからだ。
あなたは
ひとつの実体として
自分自身を
感じることができない。

あらゆる騒音が
そこにあるのに、
あなたの
内なる騒音だけは
消えている。

ふつうは外界よりも
内界のほうが騒々しい。
本当の混乱は
あなたの内側にある。
本当の狂気はそこにある。

そして、
外側の狂気と
内側の狂気が出会うとき、
地獄が生み出される。

外側の狂気は
つづいてゆく。
それは
あなたがつくりだした
わけではないから、
消し去ることは
できないが、
内なる狂気は簡単に
消し去ることができる。

それは
あなたの手の内にある。
内なる狂気が
消えてしまえば、
外なる狂気は
実体を失う。

それは
現実感をすっかり失って、
まぼろしになる。

自分の古い声は
見つからない。
内側に
思考が湧いてこないので、
音がない。
これが
「神々が谷間にいる」
と呼ばれる体験だ。

あなたは
からっぽになっている。
あらゆるものが
谷の底深くに沈んでゆき、
聞こえてくるのは
こだまだけだ。

そして、
こだまが聞こえてきても、
あなたはけっして
影響を受けることがない。


Osho - The Secret Of Secrets