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 (OSHO 講話の抜粋です。)

まず最初のこと……。
家族は牢獄だ。
家族は子どもたちを、妻を、
支配下に置いておきたい。
それは
ひじょうに固く結ばれた人びとの
グループだ。
しかも、
彼らはこの牢獄を
神聖なものにしてしまった。
だが、
その結果は、
ひじょうに醜悪だ。
監禁はその種類を問わず、
スピリチュアルな成長を妨げる。
 
あなたはどう思うかね……
なぜ
仏陀は世間を捨てたのか? 
なぜ
マハヴィーラは世間を捨てたのか? 
実際には、
彼らは世間を捨てていたわけではなく、
家族を捨てていただけだ――
こんなことは、
これまで誰も言ってこなかった――
というのも、
世間をどうやって
捨てることができるというのかね? 
あなたがどこにいようとも、
世間はある。
捨てることができるのは、
家族だけだ。
 
だが、
すべての宗教教典は、
キリスト教の教典も含めて、
絶えず人びとに嘘をついてばかりいる。
彼らは世間を捨てることを語る。
これは、
こうした人びとは
みな家族を捨てていたのであって、
それは家族というものが
そのなかにいたのでは
成長できないような
ものだったからだという事実から、
あなたの目を完全に逸らしてしまう。
 
家族は、
その家族の偏見によって、
子どもたち
みんなをプログラミングしている。
もしキリスト教徒の
家族に生まれたら、
あなたは絶えず
キリスト教をプログラムされ、
自分のこの条件づけは
間違っているのかもしれない、
この条件づけは
自分が超えて行くのを
妨げているのかもしれないという疑いを
抱くことはまったくなくなる。
 
キリスト教徒は誇らしげに言う、
「私は神を信じている」――
ひとことも理解していないのに。
信仰の意味はなにかね? 
信仰とは、
あなたは知らないという意味だ。
その概念は
人びとから押しつけられたもので、
それを、
まるで自分は神を知っているかのように
もち運んでいることなど、
信仰にはまったくなにも分かっていない。
神を信じている人は
誇りに思うのではなく、
恥じるべきだ。
 
信じることは、
あなたの無知を隠している。
 
知性は、
全面的に違うことがらだ。
 
だが、
キリスト教
ほかのすべての宗教は、
人びとの心を混乱させつづけている。
彼らは信じることと
知性の区別をけっしてつけない。
目の見えない人は
光を信じることもできるが、
それでは役に立たない。
光を見るには目が必要だし、
目があれば信じる必要はない。
なにかを知っていたら、
それを信じる必要があるかね?
 
あなたは光を信じるかね? 
月を信じるかね? 
星たちを信じるかね? 
あなたはただ知っているのだ。
信仰は問題外だ。
信仰が湧き起こるのは、
真理に対してではなく、
虚構に、
嘘に対してだけだ。
あらゆる信仰体系が
スピリチュアリティの妨げだ。
 
そして、
その根っこは家族だ。
というのも、
プログラミングは明らかに
家族から始まるからだ。
そして、
私は知り尽くしている。
世界から家族が消えないかぎり、
こうした宗教、
こうした国家、
こうした戦争はなくならない。
家族はあなたにこう教える――
あなたはヒンドゥ教徒で、
ヒンドゥ教はすべてのなかでも
最高の宗教であり、
ほかの宗教はまあまあだ、
と。
 
キリスト教
子どもたちの
プログラミングをつづけている。
「あなたは
 イエス・キリストでしか救われない。
 ほかの誰にも
 あなたを救うことはできない。
 ほかの宗教はすべて道徳にすぎず、
 ひじょうに薄っぺらで、
 あなたの助けにはならない」
 
そして、子どもは、
乳を与えられているあいだに
絶えずあらゆる種類の
迷信を吹き込まれると――
神、そして聖霊
さらに、
神のたったひとりの申し子・イエス
天国と地獄……。
 
子どもたちは
とても影響を受けやすい。
彼らはタブラ・ラサ――
なにも書き込まれていない、
心が純粋な状態で
生まれてくるからだ。
あなたは自分の望むことをなんでも
子どもに書き込むことができる。
そして、
すべての家族がこの犯罪を犯す。
彼らは個人を破壊し、
奴隷を生み出す。
服従は徳、
服従は原罪なのだ。
 
生まれたばかりの、
とても影響を受けやすく、
とてもソフトなときから
子どもがプログラムされるようになると、
あなたはなんでも
書き込むことができる。
それは、
その子の無意識のなかで
進行しつづけることになる。
あなたはその子に、
「私たちの国は世界でもっとも偉大な国だ」
と言うこともできるのだ。
どの国もそう教えている。
「私たちの宗教はもっとも偉大な宗教だ。
 私たちの教典は神自身が書いたものだ」――
ヒンドゥ教徒はそう言っている、
キリスト教徒はそう言っている、
ユダヤ教徒はそう言っている。
誰もが同じ犯罪を犯している。
 
もちろん、
キリスト教はやり方がうまいし、
ずるい。
というのも、
世界最大の宗教だからだ。
プログラミングの最先端のテクニックを使う。
キリスト教は宣教師たちに精神分析を、
人びとをプログラムする方法を、
人びとのプログラミングを解く方法を
習いに行かせる。
もし、
あるヒンドゥ教徒を
キリスト教徒に
改宗させなければならないとしたら、
まずその人の
ヒンドゥ教のプログラミングを
解かなければならない。
再び、
タブラ・ラサが現われる。
書き込まれていたものが消去される。
もう一度、
書き込むことができるのだ。
キリスト教は世界で最高の宗教だし、
 イエスのような人はこれまでいなかったし、
 二度と再び出ないだろう。
 それは彼が神のたったひとりの申し子だからだ」
 
すべての戦争が家族を当てにしていた。
国家を守り、
国家の尊厳と誇りを守るために、
少なくとも息子をひとりは
軍隊に差し出さなければならないというのが、
多くの国におけるこれまでの伝統だった。
 
チベットでは、
すべての家族が
長男を僧院に
差し出さなければならない。
これは何千年にもわたって
なされてきた――
まるで子どもたちは
寄付することのできる
商品でもあるかのように、
まるで子どもたちは
慈善のための
寄付金でもあるかのように。
 
これが世界を
さまざまなキャンプに分割したのだ――
宗教ゆえに、
政治ゆえに、
国籍ゆえに、
人種ゆえに。
それらはみな
家族に基盤を置いている。
家族は人類の数限りない傷の
根っこにある原因だ。
 
キリスト教徒たちが
自分たちの基盤だと
考えている
この家族、
それが
彼らの基盤であるのは、
家族が教会の言いなりに
子どもたちを
プログラムするからにすぎない。
家族は子どもたちを奴隷にする。
子どもたちの
個人としての尊厳を奪い、
偽善者に仕立てあげる。
あらゆる種類の嘘を
子どもたちに押しつける――
そして、
その最大の嘘が神だ。
神から、
ありとあらゆる嘘が生まれてくる。
神という作りごとがなかったら、
神のたったひとりの申し子、
イエス・キリスト
そこにいなかっただろう。
罰と報酬を与える神が
いなかったら、
天国と地獄は
そこになかっただろう。
 
子どもの心に
このプログラムを植えつけることは、
その子が探究し、探検し、
その心を超えて行くことを妨げることだ。
それは真理に反している。
あらゆる家族が真理と対立している。
あらゆる家族が
エンライトンメントと対立している。
 
私が歴史上はじめて、
仏陀とマハヴィーラは
世間を捨てたのではなく、
家族を捨てただけだと言っているのは、
そのためだ。
彼らが世間を捨てたというのは、
嘘だ。
彼らは世間に生きた。
何千人もの弟子たちと移動していた。
それが彼らの世間だったのだ。
彼らは都市に入って行き、
人びとに教えを説き、
瞑想を教えた。
 
彼らは世間を捨ててはいなかった。
人類が意識へと進化するのを助けるために、
彼らはありとあらゆる手を尽くそうとしていた。
彼らは人類に反対していたのではない。
彼らは人間の意識が星ほど高く、
太平洋ほど深く成長することに
反対していたのではない。
彼らが捨てたのは家族だけだった。
家族は彼らが瞑想する
助けにならなかったからだ。
 
家族はあなたに野心を抱かせる。
が、
野心は
エンライトンメントの妨げのひとつだ。
家族はあなたに欲望を抱かせる、
成功したいという望みを抱かせる。
が、
こうしたことはすべて緊張を、
心配を生み出す。
どうしたら有名になれるのだろう、
と。
 
家族はあなたに有名になってほしい。
家族はあなたが世界中に
名を知られるようになってほしい。
家族はあなたに
いちばんの金持ちになってほしい。
家族はあなたに
国の大統領になってほしいのだ……。
 
こうしたすべての野心が、
絶えず苦悩し、
苦しむ心を生み出すことになることなど
なにも知らずに、
家族はこうした野心を生み出している。
国の大統領になれるのはひとりだけだ。
この国にいる9億の人たちはどうなのかね? 
彼らはみな、失敗者だ。
自分は失敗者だ、成功せず、
ほかの人たちより劣っていると
人びとに感じさせておくのは、
醜悪な状況だ。
 
すべての病的異常の元は家族だ。
家族が離散すれば、
教会は自ずと死ぬ。
国家は自動的に消滅する。
人種は自ずと消える。
 

Osho - Christianity: The Deadliest Poison and Zen