…「自己知・・・」友人のFB 記事---探求(中級)者 必読🎶

(OSHO 講話/抜粋…)

彼は知るかも知れない。
しかし
あなたが何かを知るのは、
あなたと分かたれているからだ。

覚えておくべき
ひとつのことがある。
これによって、
自己知(self-knowledge)は不可能だ。
あなたは
自己を知ることができない。

何故なら
いつであれ
あなたがそれを知るとき、
それは自己ではない。
それは何か別のものだ。
何かがあなたから分かれている。

自己というのは
いつも知る者だ。
知られる者ではない。
そしてどのように知ることができる?
あなたはそれを
ひとつの対象物に縮小できない。

私はあなたを見ることができる。
どのようにして
私は私自身を
見ることができるだろうか?

そのときには、
見る人とは誰で、
見られる者は誰だろう?

いいや、
自己は
他のものを知るのと同じように
知ることはできない。

自己知は
普通のセンスでは不可能だ。
知る者はいつも超越する。
いつも越えていく。
なんであれ、
それは知るが、
それはそうではない。

ウパニシャッド
ネティネティという。
これではない、あれではない。
なんであれ、あなたが知る。
あなたはこれではない。
なんであれあなたは知らない。
あなたはそれでもない。

あなたは知るひとであって、
この知る人は
知られるべき対象に縮小されない。

自己知は不可能だ。
もしあなたの無邪気さが、
あなたの内なる根源から来ていたら、
あなたはそれを知ることができない。

もしあなたが外側から
それを押しつけたものなら、
あなたはそれを知ることができる。

それが着こなせるようなものなら、
あなたは知ることができる。

しかし、
それはあなたの
生のまさに呼吸ではない。
その無邪気さは培われたものだ、
培われた無邪気さは醜いものだ。

タオの人は
彼自身が親切で優しいと知らない。

彼は優しい。
しかし彼は知らない。
彼は親切だ。
しかし彼は知らない。
彼は愛だ。
しかし彼は知らない。

何故なら、
恋人と知る者はふたつではない。

優しさ、親切さ、慈悲、知る者は
ふたつではない。
いいや、
彼らは分かたれていない。
知る者と知られるものに。

これは内なる貴族性だ。
あなたが裕福であっても
それに気づいていない。
あなたが
そのような裕福な者であれば、
見せびらかす必要はない。


Osho - The Empty Boat