…FBに、友人が投稿している OSHO の講話/抜粋記事です。

内側にある
真の動機に
気付くことさえなく、
この二重生活を
送り続けている人々がいる。
見守りなさい。
すると、
そのように見守ることで、
あなたは
ごくごく注意深くなってくる。
ただ見守りなさい。
あなたの真の動機は何なのか?
そんなはずはないと、
自分自身を
納得させようとしてはいけない。
ただ鏡になって、
自分の行動を見守るのだ。
ただ自分の行動を
黙って見守り、
なぜ自分が
あることをしているのか、
それはどこから来ているのか、
つねに
注意を怠らずにいることだ。

そうすれば
自分が二人いることに
気付くだろう。
ひとりは
あることを言う人格。
もうひとりは
まったく逆のことをやり続ける
あなたの本当の姿だ。
その二つは
なんとか互いに
やりくりしてゆかねばならない。
それゆえの葛藤であり、
軋轢(あつれき)であり、
エネルギーの浪費だ。

ひとつの願望を
内に抱きながら、
外側では
まったく逆の行動をしてしまう
といったことが
往々にして起こる。
なぜ逆の行動をとるのか?
それは
あなたが逆の行動を通して
その願望を
抑圧しているからだ。

奥深くで
劣等感を感じている人は、
外側では
ひじょうに優れている
ふりをする。
優秀でありたいと思うのは
劣った人々だけだ。
本当に優れている人々は
少しもかまわない。
劣等感で苦しんでいる人々は
みんな政治家になる。
なぜなら、
自分たちが
大いに優れていることを
証明する方法は
それしかないからだ。

「俺は、
 おまえよりも高潔だ」
といった表情を
浮かべている人は、
実情は
まったく逆であることを
奥深くでは知っている。
彼は罪の意識に
さいなまれている。
彼は奥深くでは
自分には価値がないと
苦しんでいる。
彼は自分が
高潔ではないことを
知っている。
今や世間から
それを隠す唯一の方法は
神聖さの仮面をつけることだ。
あなたがたの
いわゆる聖者たちは、
罪人たちと
これっぽっちも変わらない。
ただひとつの違いは、
罪人たちは正直だが、
世のいわゆる聖人たちは
不正直だということだ。

100人の聖者のなかから
たったひとりでも
真の聖者を見つけることができたら、
それだけでもう充分だ、
充分過ぎるほどだ。
それ以上は期待できない。
99人はただ
ふりをしているだけだ。
私は、
彼らは他人に対してだけ
ふりをしていると
言っているのではない。
そのふりが
あまりに板についてくるので、
彼らは他人を
だましているだけではなく、
自分自身をも
だましはじめるようになる。
実際、
自分自身をだますためには、
まず他人をだまさなければならない。
それでようやく、
あなたもそれを
信じることができるようになる。

真の聖者は、
他人のことなど
少しも気にしていない。
彼は自分が誰であるか
知っている。
全世界がその男は
聖者ではないと言ったとしても、
どうということはない。
彼の理解は内なるものだ。
彼は自分自身に直(じか)に
遭遇している。
彼の体験は
あいだを置かない、
実存的なものだ。
彼は自分の本質を知っている。
そしてみずからの
本質を知ることは、
神を知り、
不死の人となり、
死を超えてゆく
最初のステップになる。

ヘンリ・ベルグソン
今世紀の初頭に
こう述べている。
彼は言った
「科学技術によって
 肉体に付与されたものは、
 それにふさわしい
 魂への付加物を求めている」

現代人には、
他のいかなる時代にもまして
魂が欠けているように見える。
その理由は
科学と技術テクノロジーが
肉体に多くのものを
つけ加えたことにある。
肉体はより強靭になり、
より長生きするようになった。
頭脳はより強力になり、
より博識になった。
肉体や頭脳と比べると....
頭脳は肉体の一部だ....
魂はきわめて貧弱なままだ。
魂はほとんど無視され、
打ち捨てられている。
誰ひとり
魂の世話をする者はいない。
自分の本質について
誰が考えるだろう?
教会や寺院に行くことは
助けにはならない。

あなたは
自分自身の内側に
入ってゆかなければならない。
あなたは
靴を脱がなければならない。
あなたは
みずからのあらわな本質に
入ってゆかなければならない。
そうしてはじめて、
あなたは自分自身を
宇宙と結びつけることができる。
あなたはそこからはじめて
実在に
橋をかけなおすことができる。


Osho - The Secret Of The Secrets