…FBで、友人が 投稿している記事です。

 (OSHO の講話/抜粋)

彼が言っているのは、
自分で見る以外に
それを知る方法はない、
ということだ。
他の誰からも、
聞くことはできない。
どんな覚者にも
説いてはもらえない。
どんな導師からも
教えてはもらえない。
そういう人たちみんなができるのは
身振りで教えることでしかない。
そういう人たちはみんな
月を指さすことしかできない。
だがその指は月ではない。
あなたはその指を見るのを止めて、
月そのものを見始めなければならない。

自分で月を見れば、
その美しさはわかる。
月をさす指を見ることで、
その美しさを知ることはできない。
 
知識はすべて
月を指し示すものだ。
あらゆる経文、
あらゆる経典は
月を指し示している――
月をさす指にすぎない。
ところが
人びとはその指にこだわり、
問題は指ではないことを
完全に忘れてしまう。

月は遥か彼方にあり、
指はその方向を
示しているにすぎない。
その指にこだわってはいけない。
指のことは忘れなさい。
あらゆる知識、
あらゆる経典を忘れ、
自分で自分の真理を見るのだ。
 
それは耳の問題ではない。
それはまさにあなたの眼、
あなたの内なる眼の問題だ。
自分の内を見ないかぎり‥‥
それを聞いたり、
それを読んだりすることによって
知ることはできない。
多くの知識をえることが
覚者になることではない。
そうではなく、
無垢の子どもになること、
どんな深刻さもなく、
嬉しげに、
上機嫌に踊りながら、
遊び心を持って
源にたどり着くことが‥‥。
自分のエネルギーを
源そのものに集めて、
そこにしばらく
開いてごらん。
そうすれば、
あなたは
新しい経験によって満たされ、
その経験は日毎に成長しつづける。
 
やがてあなたは
自分が光で
満たされていることに気がつく――
満たされているだけでなく、
光が自分の身体から放射し始める。
それがオーラと
呼ばれて来たものであり、
ウィルヘルム・ライヒ
科学的に証明しようと
試みていたものだ。
nだが人びとに
彼の語っていることが
理解できなかったために、
彼は気違い病院に強制収容された――
「何の放射のことを奴は言ってるんだ?」
と。
 
だが現在ではキルリアン写真が、
肉体のまわりにある
生命のオーラを
写真に撮ることができる。
健康であればあるほど、
その人のオーラは大きい。
幸せであるときには、
それは本人のまわりを踊り、
不幸であればそれは縮む。
キルリアン
不幸な人を被写体に使ったときには、
その写真に
どんなオーラも見つけられなかった。
オーラが内側に縮まってしまったのだ。
だが彼が、踊り、楽しみ、
嬉しげに野の花を摘み、
浜辺の石を集める子どもたちを
撮ったときには、
そのまわりに
途方もないオーラが出ていた。
 
その同じオーラが
覚者たちのまわりにあった。
そして、
仏陀やクリシュナの時代には
写真など
手に入らなかったにもかかわらず、
絵画や彫刻が
全部オーラを持っているのは
ほとんど奇跡と言える――
頭のまわりのあの光輪だ。
 
ひとたび自分の生命の源を見たら、
人は同じ光がこの世のあらゆる対象、
この世のあらゆる人から
放射しているのを見始める。
オーラを見れば、
その人が不幸なのか、
あるいは幸せなのかを
見て取ることができる。

 
導師の雲巌は彼に、
「嬉しいか?」と訊いた。
洞山は学者だったから、
覚者の話し方は知っていた。
そして今や彼は自分でそれを経験した――
そのことを彼の解答に見ることができる。

彼は言う。
「嬉しくないとは言いません。
 しかし嬉しいとは、
 あまりにも月並みなことばです。
 嬉しいと言ってみても、
 何も言ったことにはなりません。
 私が見つけたものはあまりにも大きく、
 それは『嬉しい』というようなことばでは
 言い表せません。
 もっとずっと大きいものです。
 だから、
 嬉しくないとは言いません。
 わかっていただきたい、
 それは嬉しいというようなことより
 大きなものです。
 ことばでは説明できません。
 言えるのは、
 私はゴミの山のなかに
 輝く真珠を見つけた、
 ということだけです」と。
 
彼が言っている「ゴミの山」とは、
彼の学問のことだ。
彼は必要もないのに
たいへんな知識を蓄積した。
ところがその知識は、
本来の存在――
存在に対する自分の根拠そのもの――
の上にただ積み上げられ、
それを隠していただけだった。
 
それはあたりまえの幸福ではない。
実際それを
説明できるようなことばはない。
「至福」ということばはやや近い。
「恩寵」ということばはもっと近い、
歓喜」ということばはもっと近い。
だがそれ以上は
どんなことばも存在しない。
その経験は、
歓喜そのものよりも遥かに深い。


Osho - The Zen Manifest : Freedom from oneself