…FB に投稿されている 友人の記事です(確認済み)。

 (OSHO 講話の抜粋)


関係性は火だ。
それは燃える。
それは難しい。
誰かと一緒に生きることは、
ほとんど不可能だ。
絶えることのない葛藤・・・
多くの者達が逃げた。
が、
彼らは臆病者だ。
大人ではない。
彼らがやろうとしていることは、
子供じみている。

その通りだ。
彼らは
もっと都合のいい人生を送るだろう。
それは本当だ。
他者がいなければ、
もちろん全て楽にいく。
あなたは独りで生きる。
誰に腹を立てるのかね?
誰に嫉妬するのかね?
誰と喧嘩するのかね?

だがあなたの生は、
全ての風味を失う。
あなたは味気なくなる。
塩気がまるで効かなくなる。
生はあんまりだ。
立ち向かうだけの力は
自分にはないというだけで、
多くの者達が生から逃げた。
私はそれは勧めない。
私は逃避者ではない。
私はあなたに
「生で自分の道を闘って進みなさい」
と言う。
それこそ、
唯一の道だからだ。

さらに気づいて、
油断しないようになる道、
誰にも壊せないほどの
バランスを保つ道、
相手の存在で
気が散ることなど決してないほど、
静謐(せいひつ)になる道だ。
相手が侮辱することはあっても、
あなたは苛立ったりしない。
普通だったら
気が狂うような状況を、
相手が作り出すことはあっても、
あなたは狂わない。
その状況を、
より高い意識への
踏み石として使うのだ。

生は、
もっと意識的になり、
もっと結晶化し、
もっと中心に定まって、
根づく為の状況として
使われなければならない。

もし逃げたら、
それは種が
土から逃げ、
土がなく
石しかない洞窟に
隠れるようなものだ。
その種は安全だろう。
土の中だと、
種は死ななければならない、
消えなければならない。
種が消える時、
木が芽生える。
危険な状態が始まる。

だから、
ヒマラヤの洞窟に行くことは出来る。
あなたは種になる。
あなたは芽が出ない。
この風は、
あなたに対抗しているのではない。
彼らは機会を与えている。
挑戦を与えている。
深く根づく為の機会を与えている。

風はあなたに
「自分の大地に立って、
 素晴らしい闘いをしたらどうだ」
と言っているのだ。
それが、
あなたを強くする。

挑戦は、
成長の為の機会だ。
そして生には、
愛ほど大いなる挑戦はない。
誰かを愛していれば、
あなたは
途轍もない動揺の最中にある。
詩人達が言うように、
愛は全てバラではない。

詩人達はみな愚か者だ。
愛を夢見たのかもしれないが、
愛を知ったことなど一度もない。
愛は全てバラではない。
想像し得る以上に棘がある。
バラの花は稀だ・・・
ここ、そこに棘は無数にある。
だが、
無数の棘から
バラの花が立ち現れると、
それには独自の美しさがある。

愛は、
生における最大の危険だ。
だからこそ私は、
本当に成長したければ、
その最大の危険を受け入れ、
その中に入って行くがいい、
と主張する。

それを避ける多くの道を、
人々は見つけようとして来た。
ある者達は世間を捨てた。
なぜ世間がそんなに怖いのかね?
世間が怖いのは、
本当は愛が怖いのだ。

他者がそこにいたら、
誰かと恋に落ちることもあり得るからだ。
周りには、
素晴らしい魂がたくさんいる。
非常に多くの魅力が・・・
どこかで捕まってしまうかもしれない。
危険だ・・・逃げるがいい!

何人かは僧院へと逃げた。
何人かは逆の道に逃げた。
何人かは、結婚に逃げた。
それもまた逃避だ。
僧院は逃避、
そして結婚も逃避だ・・・
愛を避ける為のもの。

恋愛は、
どういう結果になるのか、
誰にも決して分からない。
それは、
常に破滅に瀕している。
決して都合のいいものではない。
決して居心地はよくない。

恋愛は、
喜びの時をもたらす。
だが、
地獄をももたらす。
痛みを伴う成長だ。
が、
成長は全て痛みを伴う。
痛みがなければ、
人は決して成長しない。
痛みは一部、
欠かせない一部だ。
その痛みを避けたら、
成長をも避けることになる。

多くの者達が、
どこかで落ち着いてしまった。
何人かは
野心に落ち着いて、
政治家になっている。
彼らは愛など気にしない。
彼らは
「自分達には
 世間でやるべき偉大なことがある」
と言う。
彼らは、
権力を気にしている。
権力を逃避として使う。

何人かは、
僧院に埋もれている。
何人かは、家庭に埋もれている・・・
結婚、子供、あれやこれやに。

だが愛の挑戦、
あり得る限り
最大の嵐に直面している人に、
私は滅多に出会わない。
だが、
直面した人は成長する。
いつの日か綺麗になって、
純粋になって、
成熟して、
そこから出て来る。

関わりを持ちながら
人々と動いている時は、
常に危険にさらされている。
生は鋭くなる。
そうなったら、
あなたにはひとつの音色がある。
そうなったら、
あなたのエネルギーは
錆ついていない。
流れている。

・・・。

では、
私は何を言っているのだろう?
「決して独りになってはいけない」
と言っているのかね?
いや、全く違う。
私は
「決して孤独であってはいけない」
と言っている。

「独り在ること」は、
関係性を通して学んだ
豊かさから生じる。
多くの次元、
多くの資質を有する、
多くの関係性から生じる。

母親と共にあること、
父親と共にあること、
ひとりの友人と共にあること、
兄弟、姉妹と共にあること、
妻と共にあること、
最愛の人、恋人と共にあること、
敵と共にあること。
「共にあること」が世間だ。
そして人は、
可能な限り
多くの関係性を
持たなければならない。

そうすれば、
あなたは拡大する。
それぞれの関係性が、
あなたの内なる豊かさに
何かを寄与する。
人々の中に
広がれば広がるほど、
あなたは拡大する。
あなたはより大きな魂を、
そしてより豊かな魂を持つ。
さもなければ、貧しくなる。

関係を持てば持つほど、
あなたは「在る」ようになる。
存在は、
関係を持つことで発見される。
それぞれの関係性が、
ひとつの鏡だ。
自分のひとつの断片を見せてくれる。
自分自身に関する何かを映し出す。
成長し切って、
無限へと拡大したら、
そうなったら、
最後の関係性は神とのものだ。

神と関係を持ち、
神と溶け合った後で、
「独り在ること」が生じる。
「独り在ること」は、最後の成就だ・・・
それを人は学ばなければならない。
「独り在ること」は、
あなたのあらゆる関係性の開花だ。

・・・

体験からのみ、
人は自由になる。
真理は解き放つ。
体験は真理を与える。
決して体験のない生を求め、
決めてはいけない。
どんなに辛く困難でも、
より多くの体験を求め、
決めるがいい・・・
とにかく、
体験の生を常に選ぶがいい。


Osho - Yoga:The Alpha and the Omega