…愛と 食べ物---友人のFB投稿記事です。

 (OSHO 講話の抜粋)

そしてまた、
食べものは
愛のシンボルでもある。
あなたは
なぜ自分が母親を愛するのか
観察したことがあるかね?
なぜ母親と子供のあいだには
あれほどに強い愛が
存在するのだろう?
それは、
母親とは
最初の食べものだからだ。
子供は母親を食べてきた、
母親は
子供のなかに入ってきた。
子供は母親を、
最初は
愛の源泉というよりは
食べものの源泉として自覚する。

後になってから、
子供が意識の上で
成長してゆくようになると、
母親への愛を感じるようになる。

食べものが最初で、
そのあとに愛がつづく。
そして食べものと愛とは、
それが同じ源泉から来ることから
いっしょに結びついて考えられる。
だから、
もしどこかの家を訪問して、
何も食べるものを出されなかったら
いい気持ちがしないのはこのためだ。
あなたは拒否されたように、
愛を与えられなかったかのように感じる。
その家の人たちにとって
あなたは客ではなかったのだと・・・・・。

もし食べもの飲みものを出されたら、
たとえその人たちがどんなに貧しく、
たいしたものは差しだせないにせよ、
彼らの持っているものを何であれ
出してくれたら、
あなたは好感、
安心感を抱く。
あなたは快く迎えられたのだ、
彼らは食べものを
あなたとわかち合った・・・・・。
というのも
食べものは
愛を連想させるものだからだ。

女性が男性を愛するときには、
かならず男性のために
食事を用意したがる。
彼女はそれを差しだしたい、
彼に食べてもらいたい。
もしそうすることが許されなかったら、
女性は不安を感じる。
愛は食べものを通して流れてゆく。
愛は眼に見えない。
愛は眼に見える乗物が必要だ。
それに、
食べものの質自体が即座に変わる。
もしあなたを愛している女性が
あなたの食事を用意するとしたら、
それはちがう質をもつ。
その質は化学者が
分析できるようなものではない。
が、
とにかくちがう質をもつ。

もし怒っている人が、
あるいは
あなたに敵対して
あなたを憎悪している人が
食事を用意するとしたら、
それはすでに毒されている。
なぜなら、
怒り、憎悪、嫉妬などは
血のなかにある毒だからだ。
それらには
独特の放射力があって、
手を通して
食べものに入ってゆく。
もしほんとうに
あなたを憎悪している女性が
あなたの食べものを
用意するとしたら、
彼女は知らないまに
あなたを殺すことさえできる。
どこの裁判所も
彼女をつかまえられない。
あなたの食事を用意する女性が
あなたを憎悪しているとしたら、
彼女と暮らすのは
たいへんに危険なことだ。
それはまわりの遅い毒薬だ。

だが、
もしあなたを愛している女性なら、
彼女は食べものを通じて
自分の生命を与える、
彼女は食べものを通じて
自分の愛を与える。
彼女は食べものを通じて
あなたのほうに動いてゆく。



Osho - The Mustard Seed