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 (OSHO 講話 抜粋)

あらゆる子供はみな自然に、
ゆったりと生まれる
ところが、
そこに社会が入ってくる
ある一定の理由で
入り込んで来なければならないのだ
それは何も悪いことじゃない
というのも
もし子供が彼のまま、
あるいは彼女のままで
放っておかれたら
その子は決して成長しないだろう
そして、その子は
絶対に宗教的な人間にはなれない
彼はただ獣みたいになるだけだ

社会は入り込んで来なければならない
社会は通過されなければならない
それは必要なのだ
ただひとつ
覚えておかれねばならないのは
社会というのは一度従われ
そして、次には
超えられなければならないものだ
ということだ
ルールは学ばれ
そして忘れられなくてはならない
人生にルールはつきものだ
世の中には他人というものがいるのだから
あなたは一人っきりじゃない

・・・

それには
何も悪いところはない!
それは
為されなければならないのだ
ただし、それは
その子が決して
彼の覚醒を失わないように
彼がその教化パターンと
一体になってしまわないように
内側の深いところでは
自由のままでいるように

ルールには
従わなければならないけれど
ルール自体は人生じゃない
ということが解るように

そして、
それでもルールは
教えられなくてはならないのだと
いうことが解るように
そんな形で
為されなくてはならない
それは、<よき社会>というものが
行うであろうことだ

それはこう教える
「こういうルールはいいものだ
 世の中には
 他人というものがいるんだから
 しかし、それは絶対じゃないし
 あなたはそれに
 閉じこめられている義務が
 あるわけでもない
 ある日、あなたは
 それをも超越しなければ
 ならないのだ」と

社会というのは
それがその成員に
文明とそして超越の両方を
教える限りにおいて
悪いものじゃない
そのときその社会は
宗教的な社会だといえる

もしそれが
全然超越を教えないとしたら
そのときは、
その社会はただ単に俗な、
政治的な社会でしかない
そこには宗教のかけらもない

あなたは、
ある一定の範囲までは
他人の言うことに
耳を傾けなくてはならない
そして、それから今度は
自分自身に
耳を傾けなくてはならない
最後には、
初源の状態に還って来るべきなのだ

死ぬまでに
あなたはもう一度
無垢な子供に戻るべきなのだ
ゆったりと自然な子供に

なぜならば
死において再びあなたは
ひとりぼっちの次元に
入って行くからだ
ちょうど
胎内にいたときと
同じように

死において
もう一度あなたは
ひとりぼっちの領域に
入って行く
なんの社会も
そこには存在しない
そして、
一生涯のうちに
あなたは
ただ目を閉じて
社会を超えてしまうスペース
自分自身の中へ
自分自身の胎内へと入って行く
幾つかのスペースを
砂漠の中のオアシスのような
幾つかの瞬間を
見出さなくてはならない
これが瞑想の何たるかだ

社会はそこにある
が、あなたは
目を閉じて社会を忘れ、
一人になる
どんなルールも
そこには存在しない
なんの人格もいらない
なんの道徳も
どんな言葉も
どんな言語もない
あなたは内側で
ゆったりと
自然になることができる

そのゆったりとした
自然さに向かって
成長してゆきなさい
たとえもし
外的な規律の必要があっても
内側では野生のままでいるのだ
もし人が、
内側では野生のままでいながら
しかも社会の中で
必要とされることを
習い覚えることができたら
やがて彼はすんなりと
超越してしまえる
あるポイントに
行き着けるだろう・・


Osho - Tantra; The Supreme Understanding