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 (OSHO 講話---抜粋)


子供は腹部で呼吸する。
子供は腹部で生きる― 
頭でも、
ハートでもない。
だがやがて、
そこから
少しづつ離れ去っていく。
最初、
別のセンターを成長させる。
それは、
ハート、
つまり感情のセンターだ。
彼は愛を知る。
彼は愛される。
そして
このセンターが成長する。
このセンターは
真のセンターではない。
このセンターは副産物だ。
だからこそ、
心理学者が
「愛されたことのない子供は、
 愛すことができない」
と言うのだ。
もし子供が
愛のない環境に育ったら・・・
誰ひとり
愛やぬくもりを与えてくれない
冷たい環境に育ったら、
彼自身、
生涯誰も
愛することができない。
なぜなら、
そのセンターそのものが
成長しないからだ。
母の愛、
父の愛、
家族、
社会、
そういったもののおかげで、
センターは成長する。
このセンターは副産物だ。
生まれつきのセンターではない。
手助けがなければ、
このセンターは成長しない。
非常に多くの人々が
この愛のセンターを欠いている。
それでは
どうして愛せるだろう。
愛深い母を得ることは難しい。
そして
愛深い父を得ることは稀だ。
どの父親も、
どの母親も、
自分では愛していると
考えている。
だが
ことは
それほど簡単ではない。
愛を成長させることは難しい。
最初に愛がなかったら、
その子供自身も
また愛することができない。
だからこそ、
全人類は
愛なしで生きているのだ。
次々に子供をつくりながら、
どうやって
愛のセンターを与えるかを
知らない。
その逆に、
社会は文明化すればするほど、
第三のセンター、
つまり「知性」を
強制するようになる。
臍が元来のセンターだ。
子供は
それを持って生まれる。
それは副産物ではない。
それなしには生は不可能だ。
だから
それは元からある。
第二のセンターは副産物だ。
子供は愛を得れば応える。
このような応答の中で
センターが成長する。
それがハートセンターだ。
そして第三のセンターは、
理性、知性、頭だ。
教育、論理、
そして訓練が
第三のセンターを創り上げる。
これもやはり副産物だ。
我々は
第三のセンターに生きている。
第二はほとんど不在だ。
あるいは存在していても、
機能していない。
あるいは
たまに機能することはあっても、
その機能は不規則だ。
ところが、
第三のセンター、
つまり頭は、
生の基本的な力となっている。
生全体が
この第三のセンターに依存している。
このセンターは実用的だ。
推論、論理、
思考のために必要だ。
だから、
遅かれ早かれ、
誰もが頭指向になり、
頭の中で生きるようになる。
臍は生まれつきのセンター、
もともとの中心だ。
ハートは開発できる。
ハートの開発は、
いろいろな意味でいいことだ。
理性もまた
開発する必要がある。
だが、
理性を開発するにしても、
ハートを犠牲にしてはいけない。
もしハートを犠牲にして
理性を開発したら、
そのつながりは
失われ再び、
臍に戻ることができなくなる。
理性から
<存在>へというのが
発展の道筋だ。
次のように考えてみよう。
臍のセンターは
ビーイング(存在)の中にある。
ハートのセンターは
フィーリング(感じること)の中にある。
頭のセンターは
ノーイング(知ること)の中にある。
知ることは
在ることからもっとも遠い。
感じることの方が近い。
だから
感じるセンターを欠いたら、
理性と存在との間に
架け橋を創るのは
非常に難しい。
だからこそ、
往々にして、
愛深い人間の方が、
知性で生きる人間より、
たやすく
「我が家のくつろぎ」を
さとるのだ。
「頭」とは
知る能力のことで、
「ハート」とは
感じる能力のことだ。
そして
ビーイング」(在ること)とは、
ひとつになる能力のことだ。


OSHO-Vigyan Bhairav Tantra