…「睡魔---」

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瞑想中に
眠気を
もよおすならば、
昏沈の影響を
受けている。
昏沈の克服に役立つのは
呼吸だけである。
鼻から出入りする息は
真の呼吸ではないが、
真の呼吸の出入りは
これと
結びついて起こる。

瞑想中に
強い睡魔に
襲われたら、
呼吸を
見守りはじめなさい。
そうすれば
眠気は消える。
ヴィパッサナをやっている
多くの仏教徒
不眠症
悩まされるようになるのは
そのためだ。
私はヴィパッサナを
やっているために、
不眠症
なっている人たちに
大勢出会った。
しかも
彼らはそれに
気づいていない。
呼吸を見守っていると、
眠りが妨げられるのだ。

だから、
私は
サニヤシンたちに
こう言っている---
けっして一日に
二、三時間以上
ヴィパッサナを
やってはいけない、
と。
しかも
その数時間は
日の出から
日没までのあいだに
かぎられる。

日が暮れたら
けっして
やってはいけない。
夜中に
ヴィパッサナをすると、
眠りがかき乱される。
そして
眠りがかき乱されると、
身体中のメカニズムが
かき乱される。

ある
セイロンの僧侶が
私のもとに
連れてこられた。
三年間、
彼は眠れない状態が
続いていた。
真面目な僧侶だった……
それが彼の問題だった。
ヴィパッサナの
すばらしさを信じるあまり、
彼は朝から晩まで
一日中それをやっていた。
寝床に入って、
なかなか
寝つけないときにも、
ヴィパッサナをやっていた。
寝床で
ヴィパッサナをやれば、
眠れなくなってしまう。

呼吸に
繊細な注意を
払っている人に
眠りは訪れてこない。
試してみるといい―
不眠症になりたければ、
試してみるといい。
睡魔を払うには
呼吸を見守るのが一番だ。
なぜなら、
呼吸は生であり、
眠りは死だからだ。
それらは
互いに対立し合っている。

子供はまず
呼吸をすることによって
生きることをはじめる。
人生で
最初に行なわれる行為は
呼吸であり、
最後に行なわれる行為は
息を吐き出して、
二度と呼吸をしないことだ。
最初の行為は
息を吸うことであり、
最後の行為は
息を吐くことだ。
息をしていなければ、
死んでいるとみなされる。

これを
覚えておきなさい。
眠るためには
呼吸のことを
すっかり
忘れてしまわなければ
ならない。
眠りは小さな死、
ささやかな死であり、
美しい死だ。
眠りは
休息とくつろぎを与え、
人は翌朝になると
溌剌として若返り、
元気になって
死体置場から
もどってくる。

瞑想中に
睡魔に襲われたら、
呼吸を見守りなさい。
そして、
夜はけっして
呼吸を見守る瞑想を
してはならない。


Osho - The Secret Of Secrets