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…「呼吸法」

…友人の FB 投稿記事(OSHO 講話抜粋)を シェアします。



坐るときには、
瞼(まぶた)を下げて、
下げ振りをつるすように
視線を定め、
光を下方に向ける。
しかし、
下にうまく注意を
向けられないときには、
呼吸に耳を傾けるように
ハートを導く。
出入りする息の音が
聞こえるようではいけない。
聞こえるのは乱れた息である。
息が乱れると、
たちまち呼吸は荒く、
うわついたものになり、
伸びやかに広がってゆかない。
こころを
ひじょうに軽やかで
微細な状態に
しなければならない。
枷(かせ)を
解かれれば解かれるほど、
こころの働きは
微(かす)かになり 、
微かになればなるほど、
こころは静かになってゆく。

だから
呼吸に耳を澄ませなさい。
音が聞こえるのは、
息が荒いということだ。
乱れているのは、
息が荒いということだ。
感じるだけで
音がしなければ、
呼吸は穏やかで
静かになっている。

それが
<存在>と調和し、
自分自身と調和し、
実在と調和する正しい方法だ。
呼吸が静かになればなるほど、
あなたはさらに
深みへと入ってゆく。

ときどき呼吸が止まると……
呼吸は実際に
止まることがある!
それはここで
多くのサニヤシンに起こっている。
彼らは私に知らせにやって来る。
なぜなら、
彼らはひどく
おびえてしまっているからだ。
呼吸が止まると、
自分は死んでしまうという考えが
脳裏をよぎる。

先日、
サグナが質問をした。
彼は死んでゆくような
気分になったという。
彼はおびえてしまった。
おびえてはいけない。
呼吸が止まったら、
そのままにして、
それを楽しみなさい。
あなたは
死んだりはしない。
そのまさに
呼吸が止まることで、
あなたは実在の
真の姿を知るだろう。
永遠の生を知るだろう、
死を知らないものを
知るだろう。

不意に
こころは
限りなく静かになって、
動きを止める。
そうなったら
真の呼吸が出現し、
こころの真の姿が
意識されるに
到ったのである。

そのままに
しておくことができれば……。
だから
私はサグナに言った。
「サグナ、馬鹿だね。
 君は取り逃がしてしまった!
 今度それが起こったら、
 取り逃がさないように」

呼吸が止まれば、
真の呼吸が出現し、
真の生命が現れる。
呼吸に依存しない生命、
永遠の生命、
肉体の一部ではなく、
肉体が崩れ、
塵(ちり)となって消えた後にも
残る生命が。

そしてその瞬間に、
意識が達成される。
人はブッダになる。
ブッダとは
完全に意識的になった、
目覚めた人のことだ。

ハートが軽やかであれば、
息も軽やかになる。
それは
こころのあらゆる働きが
気(呼吸エネルギー)に
影響を与えるからだ。
息が軽やかであれば、
こころも軽やかになる。
それは気のあらゆる動きが
こころに影響を与えるからだ。
こころを安定させるには
気を養うことから
はじめなければならない。
こころに
直接働きかけることは
できないからだ。
それゆえに
手がかりとして
調息法を用いる。
これが
「気の力を集中して保持する方法」
と呼ばれているものだ。
弟子たちよ、
おまえたちは"動き"の本性を
理解していないようだ。
動きは外界の事物によっても
引き起こされる。
それは支配される
ということに他ならない。
坐るだけで
こころが揺れ動くなら、
身動きしないことによって
それを鎮めることは
できないだろうか?
こころと気が
相互に
影響し合うことを知った
偉大な聖者たちは、
後世の人々に役立つよう、
より簡易な方法を
考案したのである。

あなたは
それを知っている。
走れば、息は激しく乱れ、
どんどん速くなってゆく。
ヨーガの各種の体位は
そのためにある―
例えば完全な蓮華座。
背筋をまっすぐ伸ばして坐り、
完全に沈黙して、
大理石の彫像に
なってしまったかのように、
不動の姿勢を保つ。
それはランニングとは
まったく逆の姿勢だ。

これは呼吸を静めるための
外的な手段にすぎない。
走ることで
呼吸を速めることができるなら、
仏像とそっくりな姿勢で
坐ることで、
それを鎮静させることも
できるはずだ。

身動きせず、
仏像のように坐っていれば、
確かに呼吸は
だんだんゆるやかになってゆき……
やがて止まる。
最初はほんの一瞬にすぎない。
心臓発作(ハートアタック)か何かに
襲われたのではないかと
恐れる必要はない。
それは
神の到来(ゴッド・アタック)だ。


Osho - The Secret Of Secrets