「生を 祝いなさい---」OSHO,

…友人の FB投稿記事です。

 

Osho、
なぜ私は
いつもお金のことを
考えているのでしょう?



他に何を
考えることがある?
お金は力だ。
誰であれ、
お金のことを考えている、
心配することはない。
たとえ、
別の世界を
考えている人たちでさえ...、
彼らは違ったコインを
持っているだけで、
彼らもまた
お金のことを考えている。
お金は力のあらわれだ、
お金で
力を買ってるというわけだ。

あなた方の聖者もまた
お金のことを考えている。
彼らはそれを徳と呼んでる。
徳によって、
あなたはよい家をよい車を、
よい女性を
天国に買うことができる。
そんなに貪欲な人々は
多くはない、
彼ら以外は
流動的なこの世界のなかで
お金のことを考える。
もっと貪欲な人たちが少し居て、
別の世界でのことを考える。
そしてもしあなたが
徳はパラダイスをもたらすと
考えているなら、
それはお金に他ならない?

人がお金のことを
考えるのを止めるのは、
彼が今現在を
生きはじめたときだ。
お金は未来だ。
お金は未来のセキュリティだ。
未来の保険だ。
もしも、
あなたが
貯蓄を持っていれば、
あなたの未来は安全だ。
もしも、
あなたが
よい性質を持っていれば、
たとえ死後の世界でも安全だ。

世界はまるごとお金に
置き換えられようとしている。
政治の力を考えている者は、
お金に置き換えられる。
なぜなら、
お金は
力の象徴にすぎないからだ。
そういうわけで、
あなたがたはもっともっと
お金を集めはじめる。
しかし、
もっともっとに
留まることによって、
欲望があなたから
離れていくことはない。
なぜなら、
力への渇きは限りがなく、
終わりがないことを
それは知っている。
そして、
人々が力を渇望するのは、
内面の空虚さからだ。
なんとしても彼らは
この空虚さを
何かで埋めようとする、
それが、
おそらくお金、力、名声、
世間体、人格、徳だ。
彼らはその内なる空虚さを
埋めようとする。

世界には
2つのタイプの人が居る。
内なる空虚さに
詰め込もうとする人たちと、
とても稀な人たちだが、
その内なる空虚さを
見ようとしている人たち。
詰め込もうとするものは、
空虚なままで、
欲求不満なままに留まる。
彼らは、
がらくたを溜め込みはじめる、
彼らの生涯は無駄で、不毛だ。
唯、もうひとつの、
とても希少な
内なる空虚さに
どんな欲望もを
詰め込もうとしないで、
覗く人たちは瞑想者になる。

瞑想とは
あなたの
内なる空虚さを覗くことだ、
それを招くこと、
楽しむこと、
それと共に存在すること、
満たすべきどんな欲望もなく、
そんな必要はない、
なぜなら、
それは既に満たされている。
それが空虚に見えるのは、
あなた方が正しくそれを
見ていないからだ。
あなたは
マインドをとおして
それを見ている、
それは間違いだ。
もしもあなたが
マインドを脇に置いて、
空を覗いたら、
それは途方もなく美しい。
それは神聖であり、
それは喜びであふれている。
他に必要なものなどない。
そのときには、
人はお金のことを
考えるのは止める。
力について
考えるのを止め、
パラダイスについて
考えるのを止める。
なぜなら、
彼は既にパラダイスに居る。
なぜなら、
彼は既に豊かだ。
なざなら、
既に力に満ちている。

しかし通常、
ラムダス、
それはあなただけに
起こったことではない。
誰もが何らかのお金について
考えている。

ふたりの母親が話している。
ひとりがもうひとりに言う。
「長い間、見なかったね。
 息子さん元気、
 どうしてるの?」

彼女が答える。
「私の息子は
 ハリウッドの有名な俳優になって、
 財産をつくったわ。
 彼は30万ドルの家を建てているところよ。
 あなたの息子さんはどうされてるの?」

もう一方の母親が言った。
「私の息子の方が
 もうちょっとましにやってるわ。
 彼はゲイでハリウッドに住んでる。
 彼は俳優と30万ドルの家に
 引っ越したところよ。」

・・・

人々はお金、お金、お金と
考え続けている。
なにもあなたが、
特別なことではない。
ラムダス、
あなたは、
誰もが神経症という意味で
普通の異常者だ。
しかし、
どうかこの神経症から
出てきなさい。
この瞬間を生きなさい。
未来を、
そしてお金の魅力を、
落としなさい。
瞬間をトータルに、
ゆだねて、
他の瞬間など
やってこないかのように、
これが
最期の瞬間であるかのように
生きなさい。
そのとき、
お金と力に対する
すべての欲望は
あなたを離れる。

もしも
突然あなたが
今日死ぬことを知れば、
何が起こるだろう?
あなたは
お金に興味をもったままで
居られるだろうか?
突然すべての
お金に対する欲望が離れる。
もしも今日が最期の日なら、
あなたは明日を考えることに、
この世界でよりお金を得ることに
浪費することはできない。
来るべき明日はない。

私たちは明日を生きるから、
お金はとても重要になる。
そして、
私たちは生きることがないから、
お金はとても重要だと、
他人をまねることができる。
いつか家を建てる、
そして今、
あなたは
とてもまずい感じでいる。
あなたは
数日まえのあなたの家に
まったく
満足ができないだろう。
今やひとは
より大きな家を建てた。
比較が現れた、
それは傷つける、
それは
あなたのエゴを傷つける。
あなたはより多くの
お金を欲するだろう。
誰かが、何かをし、
あなたのエゴが邪魔される。
比較することを落としなさい。
生は本当に美しい。
比較することを落としなさい。
すると、
あなたは生をいっぱいまで、
楽しむことができるだろう。
そして
生を楽しんでいる人は
所有する欲望を持っていない。
彼は買うことのできない、
楽しむことの価値を、
生のリアルなものを知っている。

愛は買えない。
もちろん、
セックスは買えるだろう。
そして、
愛が何かを知った人は、
お金を楽しむことはできない。
しかし、
愛が何かを知らないなら、
お金の楽しみに向かうことに留まる。
なぜなら、
お金はセックスを買える。
セックスが彼の知るすべてだ。
星の多い夜を買うことはできない。
星がいっぱいの夜を
楽しむことを知ってるひとは、
より多くのお金に
悩まされることはない。
沈む夕日を買うことはできない。
もちろん
ピカソを買うことはできる。
沈む夕日を楽しむことを
知ってるひとは、
絵画を買うことを
楽しむことはない。
生はそのような絵画だ、
そのように動き、
そのように生きた絵画だ。
しかし、
沈む夕日を
どのように見るかを
知らないひとは、
巨万のドルをピカソに払い
購入する用意がある。
彼らは
何にぶらさがっているのかも、
上下逆さまなのか、
正しい向きなのかをも知らない。
しかし、
他人に
ピカソの絵画を持ってることを
示したい。

聞いた話だが、
裕福な男が
ピカソのところにやって来た。
早速、
彼は絵画をふたつ欲しがった。
そして、
いくらでも払うからと強要した。
ピカソは、
絵画がひとつしかなかったので、
彼が払うことができないと考え、
法外な価格を要求した。
しかし、
裕福な男は払う用意があった。
そんなわけで
ピカソは、中に入って、
キャンバスをふたつに切った。
裕福な男は
それをふたつの絵画だと思った。

もうひとつ聞いた話がある。
展覧会で、ピカソの展覧会で、
人々は彼の絵画を正当に評価した。
すべての評論家が
そのもっとも不条理な絵画を
取り囲んだので、
もっとも人々に受け入れられた。
何かが不条理なとき、
あなたの理解力が試される。
すべての評論家は
それが何か理解するのを、
解き明かそうと試みた。
そんなとき
ピカソがやって来て
「待って、
 どこかの愚か者が
 上下さかさまに掛けている。
 まず、
 最初に直させてください。」
そして、
彼らは絵画について
好意的な論評をした。

もしも、
あなたがバラの花を
楽しむことを知るなら、
中庭の緑の木々を、山々を、
川を、星を、月を、
もしも、
人々を楽しむことを知るなら、
あなたは
お金に取り付かれないだろう。
強迫観念は
祝祭という言葉を
忘れてしまったことから起こる。
というわけで、
お金は、
あなたの生は
それほど空虚だと
自慢するものに
なってしまった。
私はあなたに
お金を放棄するように言わない。
時代を遡って
それはあなたがたに
言われ続けて来た。
それは、
あなた方を変えなかった。

私は何かほかのことを言おう。
生を祝いなさい、
すると
お金に関する強迫観念は
自動的に消えていく。
そして
それがそれ自身の
調和にあるとき、
それは
傷つけることなく離れていく。
それは、
傷をのこさず離れていく。
それは、
痕跡をのこさず離れていく。


Osho - The Book Of Wisdom