質問---------「OSHO, 瞑想の途上で、07

(…何であれ、あなたがしていることが、今のあなたを 変えないのなら、それはまったくあなたを変えないだろう。)


時間は 助けにならない。
時間だけでは 助けにならない。

時間は その現象を 深めはするが、時間だけでは 助けにならない。

しかし、あなたは 敏感でないかもしれない。
あなたが何をしようと、敏感でないかもしれない。

我々は 鈍感になってしまった。
鈍感の中には、ある種の安全性があるからだ。
もしそれほど 感じなければ、苦しみは 少なくてすむ。

ものごとを 余りに敏感に感じる人間は、とても苦しむ
そのために、我々は 自分たちを鈍感にしようとした。

避けようもないほど、何かが強烈に起こってはじめて、我々は 気づく。

さもなければ 我々の感覚は麻痺状態にあり、眠ったままで、その出来事を素通りしてしまう。
その 鈍感であることは、問題を作り出す。

あなたが鈍感なら、瞑想して 自分に何が起こっているのかに、敏感ではない ということだ。

だから、もっと 敏感になることだ。

一つの次元で 敏感であることはできない。
人は、すべての次元に敏感であるか、すべてに敏感でないかの どちらかだ。


感性とは、あなたの 全存在から訪れる。
だから、もっと敏感になることだ。

そうすれば、毎日、自分に 何が起こっているかを 感じられるだろう。



たとえば、太陽の下を歩いているとする。
その時、自分の 顔にあたっている光を感じなさい。
それに敏感でありなさい。
微妙なタッチがある。
それらは あなたを撃っている。

もしそれを感じたら、内なる光が あなたを撃てば、それもまた 感じられるだろう。
さもなければ、それを 感じられないだろう。

公園で 寝そべっているとする。
その時、草を 感じなさい。
周りの 緑を感じるのだ。

湿気の違い、大地からの匂いを 感じるがいい。
もし 感じられないなら、内なるものが起こり始めても、それ を感じることもまた、できないだろう。



あなたは、自分が瞑想において進歩しているかどうか と聞き続ける。

まず 外から始めなさい。
その方が やさしいからだ。

もし 外の世界を 感じられないなら、内側を感じることはできない。

生において、もっと詩的でありなさい。
仕事的なものを 少なくするがいい。
時に、敏感であることで 何も損はない。


あなたが 風呂に入っているとする。

その水を 感じたことがあるかね?

あなたは、ただ決まった仕事のように 風呂に入り、出てくる。

もう少し、水の感覚を感じなさい。
ただシャワーの下にいて、水を感じなさい。
水が あなたに 流れ落ちてくるのを、感じるがいい。

そうすれば、それは深い体験になり得る。
水 というのは、命だ からだ。

あなたは 九十パーセントが 水だ。

もし水が あなたに流れ落ちるのを 感じられないなら、あなた自身の 内なる潮流を 感じることはできない。


生命は 海で誕生した。
そしてあなたは、身体のうちにある 一定量の塩分を含んだ水を有する。

だから、海で泳ぎ--- 外の水を感じるがいい。
すると すぐに「自分は海の 一部であり、体内の水の部分は海からのものだ」と わかるだろう。

そうすると、自分の中にある水も 感じられるだろう。

月が出ている時、海は 呼応して波立つ。
そして、あなたの身体もまた 月に呼応して波立つ。
身体が波立っていても、あなたは それを感じられない。

もし そういう粗雑なことも 感じられないなら、瞑想という 微妙なものを感じることは難しい。

どうして 愛を 感じられるだろう。


すべての人間が 苦しんでいる。
私は 何千もの人たちが、深い苦悩の中にあるのを見てきた。

その苦悩は 愛のせいだ。

彼らは 愛したいし、愛されたい。

が、問題は、たとえあなたが その人たちを愛したとしても、その人たちは あなたの 愛を感じない ということだ。

そして、彼らは こう聞き続ける。
「私を 愛していますか?」と。

どうしたらいい?

あなたが イエスと言っても、彼らには それを感じられないから信じないだろう。
ノーと 言えば、彼らの心は傷つく。



もし太陽の光を 感じられないなら、雨を感じられないなら、草を 感じられず、自分の周りの何も感じられないなら--- その空気を 感じられないなら、愛や 慈悲というような、もっと深いものを 感じることはできない。
それは とても難しい。

あなたは、怒りや 暴力、悲しみ というものしか感じられない。
それらは ごく粗雑だからだ。

内側へ入る道は とても微妙だ--- あなたの瞑想が 深くなればなるほど、感覚は微妙になっていく。

が、そのためには、用意を整えなければならない。


瞑想は、一時間やって、その後は忘れていい という類いのものではない。


…08へ 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る  by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社