質問---------「OSHO, 瞑想の途上で、05

…略…

我々もまた、自分と 取り決めをしている。
我々は、自分の顔を 誰にでも見せる。
が、自分自身には 決して見せない。

それは、我々が自分の顔を感じないようにするために、自分自身と交わした 深い取り決めだ。

ベールをしたままでいる方法は、自分の関係性を のぞき込まない ということだ。

関係性が 唯一の鏡だからだ。

だから、自分の関係性を探り、深く入って行きなさい。
そしてそこに、自分の瞑想が 進歩しているか否かを見るがいい。



もし 愛が、無条件の愛が 育っている と感じるなら---
もし、いわれなき慈悲心を 感じるなら---
他人の幸せ、幸福に、深い気づかいを感じるなら、あなたの瞑想は 進歩している。

そうしたら、他の物事は すべて忘れるがいい。

その 観ることで、あなたは また、自分の中の 多くのことも 観るだろう。

以前より 静かになり、心の 内側の雑音が少なくなる。

必要な時は 喋り、必要がなければ 静かであるだろう。
今の状態では、あなたは 内側で静かでいられない。


あなたは くつろぎ、リラックスを感じるだろう。
あなたが何をしようと、それはリラックスした状態からの努力だ。
そこに 緊張はない。

あなたは ますます淡泊になっていく。
そして最後には、野心は消えてしまう。

解脱(モクシャ)に至る野心さえ なくなるだろう。

そして 解脱への欲望も消えた と感じたら、解脱に 達したのだ。

そうなれば、あなたは自由だ。

というのも、欲望が 束縛だからだ。
自由への欲望さえ、それは束縛だ。

無欲になる欲望でさえも 束縛だ。

何かに対する欲望が なくなったら、あなたはいつでも、未知なる世界へと入っている。

そうしたら、瞑想は その最終目的に 達したのだ。



サンサーラが 解脱だ。
まさにこの世界が 自由になる。
この岸が、彼の岸になる。


しかし、幼稚なサインを 追い回さないように。
追いかけては いけない。

そんなものを 作り出すことは 簡単だ。
あなたが それらを考え、想像したら 作り出せる。


私は、それらのサインへの すべての感覚が イマジネーションだと言うわけではない が、もしあなたが そういう見方で捉えるなら、それらを想像できるという意味だ。



もし あなたが、ある段階で、青い光を見ることが 起こると思うなら、その段階に到達せずに 青い光を作り出せる。
それは とても簡単だ。

が、実際に その段階に到達するのは、非常に難しい。

青い光を作り出すのは、とても簡単だ。
目を閉じて 青い光に集中すれば、二、 三日で 青い光を見始めるだろう。

そうすれば、そのことで あなたのエゴが 強まる。
今やあなたは「霊性の道に」ある。

クンダリーニのことを 考えれば、それを背骨の中に 感じ始めるだろう。
それは イマジネーションだ。

そういうことは 簡単だ。難しいことではない。

が、そういうことをしたら、あなたは 自分を間違った方向へ導いてしまう。


私は、そういう類いの すべての体験が イマジネーションだ、と 言うのではない--- が、もしあなたが それに 関心があれば、それはイマジネーションだろう。
そういうことを 忘れなさい。


瞑想に、自らの関係性の変化に、自らの静寂、充足、自らの愛に 関心を持つがいい。
それらのことに 関心を抱きなさい。

すると突然、いつか、背骨にエネルギーが 涌き上がってくるだろう。

が、それに関心を 抱いてはならない。
そのことを心に留め、忘れてしまいなさい。

突然、ある光を あなたは見るだろう。
心に留め、忘れなさい。

すると 突如として、あるチャクラが 回転し始めるだろう。
それもまた、心に留め、忘れてしまうのだ。

そういうことに 関心を抱いてはならない。
あなたの その関心は 有害だ。


充足や 平和、愛や 慈悲に、瞑想の心を集中したままでいるがいい。

そうすれば、それらは 起こり続けるだろう。
そうしたら、それは 本物だ。

あなたが 関心を持たずに、それらが起こるなら、それは本物だ。

それは多くのことを 示している。
が、何を示しているかを 知る必要はない。
それらが起これば、それが何を示しているか、わかるだろう。

人間のマインドは 愚かだから、もし私が 何を示しているかを 教えたら、あなたは 愛や静寂や 慈悲に、関心を抱くことが 少なくなる。
それは とても難しい。

青い光を 作り出すことは簡単だ。
蛇が背骨を上がるのを 感じることは、実に簡単だ。
それは いとも、たやすい。
何も 難しくない。



覚えておきなさい。
内なる体験には 二つのタイプがある。

一つは あなたのイマジネーションが 作り出したもの。
もう 一つは、ハプニングとして 起こったものだ。

が、ハプニングとして起こるには、 あ な た は 必要ない。

イマジネーションの方は、 あ な た が 必要だ。

だから、イマジネーションで 遊んではいけない。
それは 危険なゲームだ。


人は、どんなことでも イメージできる。
あなたは どんなことでもイメージできる。
が、それは何ら、あなたの役に立たない。


…06へ 続く



「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る  by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社