質問---------「OSHO, 瞑想の途上で、02

(…もしあなたが 進歩しているなら、あることが自然に起こり始める。その一つは、以前より、もっともっと充足を感じるということだ。)


実際、瞑想が 完全に成就されると、その人は まったく充足し、瞑想を忘れてしまう--- 瞑想は 一つの努力であり、その人が 満足していない ということだからだ。


もし いつか、あなたが瞑想を忘れ、どんな物足りない感じもなく、隙間を感じなければ--- かつてないほどに満たされていたら、それは 良いサインだと知るがいい。


瞑想をしているものが大勢いる。
もし彼らが 瞑想をしないと、何か おかしなことが起こる。

瞑想をすれば、彼らは 何も感じない。

瞑想をしていないと、隙間を感じる。
瞑想をすれば 何も起こらない。

瞑想しないと、何か取り逃したような 感じがする。

それは ただの習慣だ。

たばこを吸うことや 酒を飲むこと、何かをするのと同じように、それは ただの習慣だ。

瞑想を 習慣にしてはいけない。

瞑想を 生き生きとしたものにしなさい。
そうすれば、徐々に不満は消える。

そうすれば、充足を感じ始めるだろう。
それは 瞑想している間だけではない。


もし瞑想している間だけ、あることが起こるなら、それは 偽物だ!

それは何か良い働きをする。
が、あまり深いものではあるまい。

それは 何かと比較して、良いだけだ。

もし瞑想も至福も、何も起こらないとしても、心配することはない。

もし何かが起こったとしても、執着してはいけない。

もし 瞑想が 正しく、深くなっていたら、あなたは その 一日中が 変容されたと感じるだろう。
微妙な満足感が、あらゆる瞬間に現存している。

自分が 何をしていようとも、内側に クールな中心------
満足を感じるだろう。
無輪、それは 結果だ。


怒ることは、以前より もっともっと少なくなるだろう。
それは、どんどん消えつつある。

なぜか?

怒りは、瞑想的でないマインド、それ自身 くつろいでいないマインドを 示しているからだ。

だから、あなたは 他人に怒るのだ。
基本的には、自分に対して 怒っている。
なぜなら、あなたは 自分自身に怒っている。

だから、他人に対して その怒りをぶつけるのだ。


自分に とても親しい人間だけに 怒りをぶつけることを、あなたは観察したことがあるだろうか?

その人が 親しければ親しいほど、一層 その怒りをぶつける。
なぜか?

その人との 間が 遠ければ遠いほど、怒りを ぶつける度合いは少なくなる。

知らない人間には 怒りをぶつけない。

が、自分の妻、自分の夫、自分の息子、娘、母親には 怒りをぶつける。
なぜか?

なぜ、より親しい人間に対して、より以上に怒りを ぶつけるのか?

それは、あなたは 自分に怒っているからだ。

あなたが その人と 親しければ親しいほど、その人に 自分が自己同化してしまう。

あなたは あなた自身に怒っている。


…03に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る  by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社