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質問---------「OSHO, 瞑想の途上で、01

多くの探求者にとって 難しいのは、自分たちが 進歩しているのかどうか、あるいは、ある段階で ちょうど宙ぶらりんの状態になり、ただ 同じことの繰り返しなのではないか どうかを、知ることです。
 瞑想者が、たえず進歩し続けていることを示す要因を、詳しく説明して頂きたいのでが?」



 瞑想をして 自らに働きかけ、自分が 進歩しているかどうか と迷うなら、進歩していないのだと よく知るがいい--- もし 進歩しているなら、それが わかるからだ。

それは なぜか。
ちょうど、病気なら 薬を飲むのと同じだ。
自分が 健康になったかどうか、わからないはずはない。

もし それを 感じないなら、健康になっているかどうかに 疑問が生じてくる。

とするなら、良く知るがいい。
あなたは 健康になっていないのだ。

健康とは、余りにも はっきりした感覚だ。
自分が健康なら、それがわかる。

が、なぜ こういう疑問が生じるのか?

その疑問は、多くの理由で起こる。


一つは、あなたが本当に 自己の内面に働きかけていない ということだ。

あなたはただ、自分を ごまかしている。

あなたは 自分に トリックを仕掛けている。

もし そうなら、自分が 何をしているかには 関心が減り、何が起こっているか に、より関心を抱くようになる。


もしあなたが、本当に 自分に働きかけているなら、その結果を 神に任せられる。

だが 我々のマインドは、原因には関心が少なく、結果に より関心がある という具合だ--- その貪欲のせいで。

貪欲とは、何一つ しないで、あらゆるものを手に入れたいのだ。


貪欲なマインドは、先へ先へと 進み続ける。
そうして「何が起こっている? 何か起こっているのか、いないのか?」と 聞く。


そうではなく、自分が 本当に 何をしているかに集中しなさい。

そして、何かが起これば、それ がわかるだろう。

それは あなたに起こる。

誰かに 聞く必要はない。



そういうことを聞く もう一つの理由は、自分たちは 到達し得るのだと示す 何かのサイン、何かのシンボル、何かの道しるべがあると、考えているのだ。

「私は 大分進歩した」「この段階か、あの段階か、私は 大分進歩した」というように。


我々は、最終的なゴールに到達する前に、自分が どこにいるのか、どれくらいで 到達できるのかを 計算したい。
自分たちが進歩しているのだと、確信を持ちたい。

だが実際、道しるべのようなものはない--- 決まった道 というものがないからだ。

すべての人が 違う道にいる。

我々は 一つの道に いるのではない。


たとえあなた方が、同じ瞑想の 一つのテクニックに 従っているとしても、同じ道の上にいるのではない。

それは あり得ない。
公の道というものは 存在しない。
すべての道が 個のものであり、個人のものだ。

だから、道を行く ある一人の体験が、あなたに 役立つわけではない。
むしろ、あなたの ダメージになるかもしれない。

ある人は、自分の行く道に あるものを見ているかもしれない。

そして、たとえ その人があなたに「それは進歩しているサインだ」と 言っても、あなたは 自分の道では そのサインに 出会わないかもしれない。


その人の道にある その同じ木は、あなたの道では 存在しないかもしれない。

彼の道にある その同じ石は、あなたの道には 存在しないかもしれない。

だから、そういう あらゆるナンセンスな事柄の 被害者になってはいけない。


唯一 意味があるのは、内側での、ある種の 感覚だけだけだ。

たとえば、もしあなたが 進歩しているなら、あることが 自然に起こり始める。

その 一つは、以前より、もっともっと 充足を感じる ということだ。


…02へ 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る  by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社