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第18章 質問---「OSHO, 一般に・・・05

(…そうなると、とても難しいことが 理解されねばならない。)

ここに 光がある。
なのに、あなたは 目を閉じている。
目を閉じていて、それでも 光があると思うかね?

無論、論理的に言って、外見から見て 明らかに、目を閉じることで 光は破壊できない。
光は そこにある。

私が 目を開ければ、そこに光はある。
私が 目を閉じても、光は ある。

私が 目を閉じることで、光が影響を受けるわけではない。

そんなことは 常識だ。
が、物理学は 何か 別のことを言っている。

物理学曰く「光とは、あなたの目が貢献している 現象だ」と--- あなたの目が なければ、光は存在しない。

光とは、あなたの解釈だ。

何か、X Y Z が 在るとする。

それを 私の目は 光 と解釈する。

が、もし私が目を閉じれば 解釈するものはない。

すると、光は 消え去る。



簡単に 例を挙げてみよう。

我々は ここに座っている。

沢山の色、沢山の服が ここにある。
が、その色が存在するには、あなたの目が 必要だ。
でなければ、色は存在できない。


あなたが 空の虹を見るとする。
が、目を閉じれば その虹は消え去る---
ただ 単に、あなたにとってだけではない。

実際に 消えてしまう。

虹が存在するには、三つのことが必要だからだ。

一つは 空気中の 水の滴、次に、太陽光線が その中を通過すること、そして、それを 見る目だ。

虹が存在するには、その三つが 必要だ。

もし その 一つの要素が 欠ければ、虹は消える。
もし地球上に 人間がいなければ、虹は存在しなかったはずだ。

もし地球上に 目が存在しなければ、色というものは存在しなかった。


私は なぜ、そういうことを言うのか?

目の見えない人には、光は 存在しない。
そして 精神的な 盲人には、神は 存在しない。

その 源 は 存在するが、源は 神ではない。

神 というのは、その源が体験された時の 解釈だ。

源 は そこにある。

が、あなたは ここにいて、目が見えない。
それなら、神は 存在しないことになる。

その源と あなたの目が 出会った時、その現象が 神だ。
その 出会いが神なのだ。


宗教とは、どうやってあなたが 自らの目を開くか--- あるいは、どうやって あなたの 機能していない目を 機能させるか、神を 感じられる角度に、あなたの目を どうやって合わせるか という 実践的な 科学だ。


理論上のものではない。

自由が その目的だ。

というのも、束縛 は 苦しみだからだ。


もし自らのマインドを 洞察したら、理解できる。

誰が 真理などに 興味があるだろう?

あなたが 興味があるのは、自分の苦しみだ。

誰が真理などに 興味を抱くのか。

あなたが 興味があるのは 自身の痛み であり、苦しみ であり、自らの束縛なのだ。

だから 当然のこと、あなたは 究極的には、自らの至福、自らの自由に 興味がある。

真理ではない。



真理が重要であり得るのは、その真理なくしては、あなたが 自由でいられない と感じる時だけだ。


…06に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る  by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社