質問---OSHO, 「生は、生と死、善と悪、平和と暴力、やさしさと残酷さという二律背反の内に存在する」とおっしゃいました。 03

(…ブッダは言う。「私は選択しない。私はその中間に留まる---ちょうど中間に」。)


選択しなければ、あなたは超越する。

それは 可能だ。
超越は 起こるかもしれない。
起こらないかもしれない。

が、それは可能だ。

右と左、罪人と聖人、善と悪、良いこと と悪いことの間を 絶えず揺れ動いている、そうした世界を 超越することは可能だ--- そういう状態の中で、バランスを取っている世界を超越することは可能だ。

それが 宗教的な世界だ。

道徳的な世界ではない。

それは 非道徳的な世界でもない。
それは宗教的な世界なのだ。

宗教と道徳の 延々と続いてきた混同を、止めるべきだ。

宗教は 道徳ではない。

道徳とは、何かに反して 何かを選ぶ という 一つの選択だ。



ある話をしよう。

かつて ムラ・ナスルディンは、とても学識のある学者の聴講生だった。

ムラは その学者の話を聞いていた。

また、その学者は 宗教的な人間で、偉大な宗教の教師でもあった。

その講義が ちょうど終わって 最後に、その宗教的な学者は みんなにこう言った。
「誰か天国へ行きたい者はいないか?
行きたい者は 手を挙げなさい」と。

ムラを除いて 全員が 手を挙げた。

…略…

そこで その学者はこう聞いた。
「君は、私の話を聞いていたのかね?
君は 耳が 聞こえないのか?
それじゃあ、どこに行きたいと言うんだ!
天国に行きたいかと聞けば 黙っているし、地獄へ行きたいかと聞けば、また黙っている。
君は どこへ行きたいんだ?」

すると ムラ・ナスルディンは言った。
「その中間に 行きたいんですよ。
私は どこにもいきたくないんです--- 天国であっても。
何故なら、私は 天国へ行った人が 地獄に落ちるのを見たことがありますから---。
私は 地獄も選ばない。
というのも、地獄へ行ったら次にどこへ行けます?
天国しかないでしょう。
だから、どうか私をほうっておいてください。
もし できるなら 天国と地獄の間に いたいです。
それで初めて、私は 心穏やかでいられる。
でなければ、心穏やかではいられません。
天国にいれば 地獄に惹かれ、地獄にいれば 天国に憧れる。
だから、できるなら、天国と地獄の中間にいさせてください」と。


それが無選択の あり方だ。

宗教は 無選択--- 選ばない ということだ。

だが我々は、道徳という観点から ものを考え続けて、道徳と 宗教を混同している。

道徳は 日常生活に欠かせないものだ。
しかし道徳では、道徳的 な世界は創造できない。

実のところ、人間が 道徳を 意識すればするほど、不道徳を見いだすことになる。


誰もが
「世界は 道徳的でなくなった」と 言う。

本当は
「人間が 道徳を意識し過ぎるようになっただけで、世界が 道徳的でなくなったわけではない。
人間が道徳を 意識し過ぎるようになった。
だから、世界が不道徳に見える」のだ。

それは 一つの バランスだ。



今、我々は 各地の戦争に反対している。

今の社会では、戦争は全く不道徳だと見られている。

しかし 歴史の中で、かつて一度も、我々は 戦争を不道徳だ と 非難したことがないと、気づいているだろうか?


…04へ 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社