(講話)「自己礼拝」Worship of the Self, by OSHO, 09

(…エゴは 不動のままだ。
むしろ、エゴは 以前よりもっと直載なものになる。)


あなたは 寺院へ行った。

あなたは ティルタに行っていた---神聖な巡礼--- カーバに 行っていたのだから。
今や あなたは普通の人間ではない!

あなたは「宗教的」だ。
何故なら、神聖な場所に行って 頭を下げたのだから。

が、それはただ 身体の動きに過ぎない。


あなたのエゴは、神に頭を下げることで さらに強まった。

それは エゴにとっての食物だ。
あなたのエゴは その行為で 力を与えられた。
エゴは 死んでいない。

それが、宗教者と言われる人々が、普通の 世間的な人々より もっとエゴイスティックである所以だ。

その人たちは あなたが持っていないものを持っている。

彼らは「宗教的」だ。毎日 祈っている!

映画館に行っても、エゴが 強められることはない。
が、寺院へ行けば エゴは強められる。

寺院へ行って 罪悪感を感じることは、絶対にあり得ない。

映画館に行って罪悪感を感じることは あり得る。
ホテルに行って罪悪感を感じることはあり得る。
が、寺院を訪れて罪悪感を感じることは まずあり得ない。


あなたは 自分が 他の人より偉いと思う。
あなたは、他人より尊敬されるべき人間になる。
あなたはエゴという観点からの 何かを得た。

寺から出てくる人の 顔を見るがいい。

その人たちを 監察してごらん---!


彼らのエゴは、前より もっと強固なものに なっている。
彼らは 何かを得て 寺から出てきた。
それが「ヴィタミン」だった。


あなたは、内側で 全く頭を下げないで お辞儀できる--- それが 問題だ。

お辞儀をする、頭を 下げるということは、内側のものであるべきだ。


…10へ 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社