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(講話)「自己礼拝」Worship of the Self, by OSHO, 04

(… 一は数だ。一は他の数があって初めて存在する--- 二、三、四・・・というように。
もし他の数がなければ、一は意味がなくなる。)


では、「一」という数は、何を意味しているのか?

一の位は 九つ、一から九まである。
だから 一という数が意味を持つ。

数が それぞれの位で増えていくので、一という数が意味を持つ。

もし 一という数だけなら、それを 一とするわけにはいかない。
数えることが 無意味になる。


ヒンドゥー教徒は言う、「存在は 非二元的だ」と。

存在は 一つだ ということだ。
が、彼らは、非二元的だと言う。
存在は 二つではない と。

それは どっちつかずの声明だ。

もし 存在を「一つだ」と 言えば、言質を与えたことになる。
多くの意味で、自身を その声明に注ぎ込んだのだ。

もし存在を「一つだ」と言うなら、存在を 数えたことになる。

もし存在を「一つだ」と 言うなら、「存在には限界がある」ということだ。

そこでヒンドゥー教徒は「存在は 非二元的だ」と言う。

それは 一つだ ということだが、遠回しに言っている。
そのことは、とても意味がある。


彼らは、存在を 非二元的だと言う。

それは 二つではない ということだ。

彼らは 存在が 一つだと仄めかすだけだ。
決して 直接それを言わず、ただ 仄めかすだけだ。

彼らは「存在は 二つではない」とだけ言う。

それは とても意味がある。

我々が ダンサーとダンスは 一つだと言えば、多くの厄介ごとが起こる。

もしダンスとダンサーが 一つなら、ダンスが終わると ダンサーは死ぬことになる。

そのかわりに ヒンドゥー教徒は、それらは 二つではないと言う。
ダンスが終わっても、ダンサーは そこにいる。

だがダンサーなくして、ダンスは あり得ない。
そこには 不二元性が隠されている。

そして 二元対立が 表面に現れている。
「多様性」が 表面に現れて、一つであることが 隠されている。

が、その多様性は、一つであることが隠されていて 初めて存在できる。


木は 他の存在とは 違っている。

地球は 他の存在とは 違っている。

太陽は 他の存在とは 違っている。

月は 他の存在とは 違っている。

だが今や科学は「奥深くで、あらゆる存在が繋がっていて、一つになっている」と言う。


…05に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社