読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

(講話)「自己礼拝」Worship of the Self : by OSHO, 03

ヒンドゥー教徒は言う。
「あなたが 神そのものにならない限り、神と一つになりたいという 湧き上がる思いが満たされることはない。
あなたが 神に近づけば近づくほど、神と自分との隙間を ますます感じ、あなたは もっと苦しむことになる。
そして、あなたが もうこれ以上の成長はないという境界線にやって来た時、あなたは立ち止まり 死ぬ。
その苦しみは 耐え難いもの、絶対的に耐え難いものであるだろう」

人間が神になれるのは、人間が すでに神だからだ。

ヒンドゥー教徒は言う。
「あなたは、自分が すでに そうであるものにしかなれない。
自分が そうでないものにはなれない。
あなたは、何か他の存在へと成長することはできない。
あなたは 自分自身へと 成長するしかない」

この態度には 多くの次元がある。

一つは、神を 創造者とするものだ。
我々は、神を画家と 考えることができる。

だがヒンドゥー教徒は、そのようには考えない。


彼ら 曰く
「創造者は 画家ではなく ダンサーだ」
だからヒンドゥー教徒は、シバ神を ダンサーと考える。

ダンスに おいては、ダンサーは 何かを 創り出している。
が、被造物とは、創造者と離れたものではない。

絵を描く ということでは、絵と画家は 二つのものだ。
そして 画家は死ぬが、絵は そのまま残る。
その絵が 完成した時が、絵が 画家から完全に 独立して存在する時だ。

そうなると、絵は それ自身のコースを歩むことになる。


ヒンドゥー教徒は「神はダンサーのような創造者だ」と 言う。

ダンサーは そこにいて 踊っている。
ダンスが創造物だ--- だが、ダンサーから ダンスを 切り離すことはできない。

もしダンサーが死ねば ダンスも死ぬ。

もし ダンスが続くとしたら、ダンサーは そこに存在する。


もう 一つ、根本的で 重要なこと。

それは、ダンスは ダンサーなくしては あり得ない。
が、ダンサーは ダンスをしなくても 存在する。

ヒンドゥー教徒は言う。
「この世界とは、ある意味で 創造物だ」と。

神は ダンスを踊っている。
そして 何であれ造られたものは、重要な 神の一部だ ということだ。


もう一つ、画家は絵を描く。

彼は 絵を完成させ、そして眠ることができる。

しかし、ダンスは 絶え間ない創造だ。
神は 眠ることはできない。

この世界とは、ある決まった日に 創られたわけではない。

世界は 瞬間 瞬間、創り出されている。


キリスト教徒は「世界は ある決まった日、決まった時間に創られた。
そして 世界が創られる以前には、世界は なかった」と 考えている。

彼らは言う。
「一週間で--- きっかり 六日で--- 神は世界を創造し、七日目に 神は休息された」と。

今や 神が存在するとしても、もう神は 必要ではない。

その間に、彼は 死んでしまったかもしれない。
というように、画家は 死ぬことがある。

が、絵を描く ということは続く。
画家は狂うかもしれない。が、絵は 昔のまま残る。


ヒンドゥー教徒は「世界は 造られたのではなく、瞬間 瞬間、作り出されている」と 言う。

それは 絶え間なき創造の流れだ。

それは 永続するものだ。

それは 絶え間なき創造の流れだ。

それは 永続する創造だ。

実際、もし そういう風に物事を見れば、神とは 一個人ではない。
神は エネルギーだ。

とすれば、神は 固定したものではない。

神は 動きだ。 神は ダイナミックだ。

ダンスは ダイナミックな動きだからだ。


瞬間 瞬間、ダンスの中に いるといい。

そうして初めて、あなたは 踊れる。

ダンスは表現、生きている表現だ。

その中に、絶えずいることだ。

世界は 一つのダンスであり、絵画ではない。

全てが このダンスの 一部であり、全ての動作が 神なのだ。


ヒンドゥー教徒は 実に素晴らしいことを言う。

彼ら 曰く
「もし全てが 神でなければ、何一つ 神ではない」

「もし全てが 神聖でなければ、何一つ 神聖ではない」と。

「もし全てが 神でなければ、いかなる神の可能性もない」と。


それが 一つの次元だ。
この 同一性、“一つであること” を 見ることだ。

彼らは、同一性がある とは 決して言わない。


彼らは常に「全てが 非二元的だ」と言う。

何故なら ヒンドゥー教徒は「世界は一つだ、存在は一つだ ということは、別の何かが 存在して初めてその “一” が存在し得るという感覚を与える」と 考えるからだ。


一は 数だ。
一は、他の数があって 初めて存在する--- 二、三、四・・・というように。

もし 他の数がなければ、一は 意味がなくなる。


…04に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社