「イエスは 太陽のポイントであり、キリストは 月のポイントだ」04

イエスが 彼の よりクールな、最も冷めたポイント、月の地点へと移行した時、彼は 磔にかけられた。

誰かが 初めて月のセンターに至ると、その人の呼吸は 止まる。
その呼吸でさえ、太陽の地点の動きだからだ。

月のセンターに至れば、全てが 静かになる。
まるで 全てが死んでしまったかのように。

イエスは 磔にかけられた時、月の地点へ進むべく、内側へと 入っていった。
人々は イエスが息をしていないので、死んでしまったのだ と思った。

それは 過ちだ--- 誤解だ。

イエスを磔にかけた人達は、イエスは死んだ と思った。
が、彼は ただ息が止まってしまう 月の地点にいた。

その状態では、入る息も 出る息もない。
彼は その隙間にいた。

人が その隙間にいると、それは とても深いバランス状態で、事実上の死だ。
が、それは死ではない。

そこで彼等、イエスを磔にかけた者たち、イエスを殺した者たちは、イエスが死んだ と思った。

そこで彼等は、弟子たちが イエスの肉体を 十字架から降ろすのを許した。

ユダヤ教の国の慣習として、イエスの肉体は 三日間、近くの洞窟で保管されることになっていた。

それから、家族に遺体が 引き渡されることになっていた。

それは こう伝えられている---
又しても、キリスト教は その断片しか伝えていない。


イエスの肉体が 洞窟に運ばれ、イエスの身体は 岩に叩きつけられ血が流れていた。

もし彼が死んでいたら、身体から 血が流れることは あり得なかったはずだ。
イエスは 死んではいなかった。

三日後、洞窟が開けられると イエスは いなかった。
イエスの亡骸は なくなっていた。

それから三日間、イエスが 目撃されている。
四、五人が 彼を見ている。
が、誰一人、彼らの話を 信じなかった。

彼らは村に行き、こう言った。
「イエスは 甦った」と。
だが、誰も 彼らを 信じなかった。


それからイエスは エルサレムから逃げ去り、カシミールにやって来て、そこに留まった。

だが、その生は イエスの生ではなく、キリストの 生だ。

イエスは 太陽のポイントであり、キリストは 月のポイントだ。

そして彼は、完全なる沈黙のうちに留まった。

だから、記録がない。
彼は 話を しなかった。
彼は どんなメッセージも 伝えなかった。
彼は 道を説かなかった。

カシミールに来てから、彼は 完全なる沈黙に留まった。
その時、彼は 革命家ではなかった。

彼は 自らの 静寂のうちに生きている 一人の師だった。
ゆえに、ごくわずかな人々が 彼のところに やって来た。


イエスについて、外からの情報が全くなく、彼の存在に 気づいたものは、彼のところに やって来た。

彼らの数は、少数ではなく 大勢いた---
世界人口に比べればこそ わずかな数だったが、ある意味では 大勢が 彼を訪れた。

そして、村全体が 彼の周りに設立された。
その村は、今でも、ベツレヘムと 呼ばれている。

カシミールでは、その村は いまだに、イエスの出生地にちなんで ベツレヘムと呼ばれている。

そこに イエスの墓が 保存されている。


私が「キリスト教は未完成だ」と 言うのは、それがイエスの 初期のことしか知らないからだ。

そのせいで、キリスト教共産主義を生み出した。

だがイエス自身は、完全に光明を得た人間として 死んだ--- 満月の状態で。



(おわり…)


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社