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「イエスは 太陽のポイントであり、キリストは 月のポイントだ」03

(…彼は 沈黙の人ではなく、言葉の人だった。
なのに何故、突然 黙りこくってしまったのか?)


彼は ちょうど、十字架に向かって 歩いていた。
その時、ピラトは「真理とは何か?」と イエスに聞いた。

イエスは 一生涯ずっと、真理を はっきり示すということだけをやって来た。

生涯、彼は 真理のことだけを 話し続けた。
だが、ピラトがイエスに 真理とは何かを聞いたのに、イエスは 沈黙したままだった。

イエスの 内的世界に 何が起こったのか?
それに関しては、一度も伝えられていない。
イエスの内的世界に何が起きたのかを伝えることは、難しいからだ。

キリスト教神学は、上辺のものに留まった。

イエスの内的世界は、インドにおいてしか 解釈できないからだ。
他のどこでも決してできない。

インドだけが、内的世界で 何が起こったのか、どのような変容が起こったのかがわかる。


突然、何が起こったのか?
イエスは 死の際にいた。
彼は、磔にかかることになっていた。

今や、革命全体が 無意味なものになっていた。
彼が その時まで話したことは、全て 無駄だった。

彼が ある目的のために生きてきたこと全てが、終わりになろうとしていた。
全てが 終わった。

そして、死が そこまで近づいているために、今や彼は 内側へ入らねばならなかった。

そういう状況では、時間をロスできない!
もはや、一瞬も 時間をロスできないのだ!

磔にかけられる前に、内側に入らなければならない。
彼は、内なる旅を 完了しなければならなかった。

彼は 内なる旅の途上にいた。

だがまた、彼は 外側の問題にも巻き込まれていた。

そして外側の問題のために、彼は このウパニシャッドが「月のポイント」と呼ぶ クールな地点へと進めなかった。

彼は 燃えるように激しく、熱いままだった。
ある意味で、彼は それを 意識的にしていたのかもしれない。


こんな話がある。
ヴィヴェーカナンダが 最初の悟り、サマーディーの 最初の 一瞥を得た時、ラーマクリシュナは言った。
「私が その鍵を預かる。
お前に この鍵を渡すつもりはない。
お前が死ぬ 三日前に、この鍵は 初めてお前に渡されるだろう。
お前が死ぬ前、三日前に初めて、この鍵は返されるだろう。
サマーディーの一瞥は、もうこれまでだ」

ヴィヴェーカナンダは 泣き始め、言った。
「何故ですか? 私は 何も欲しくありません。
世界の 全ての王国も欲しくありません。
でも私の サマーディーだけは下さい。
その一瞥は とてもビューティフルでした。
私はもう、他のものは 何も欲しくありません」

ラーマクリシュナは言った。
「世界は お前を必要としている。
何かが なされなければならない。
なのに、もし お前がサマーディーに入ってしまったら、何もできない。
だから 急がないように。
サマーディーは お前を待っている。
世界へと 入っていきなさい。
人々に メッセージが伝えられれば、鍵は お前に返される」


ラーマクリシュナは 死んだ。
が、その鍵は 目に見えるものではない。

ヴィヴェーカナンダは、死の たった三日前に、サマーディーを得た--- たった三日前だ。

ということから 推測すると、イエスが 月のセンターに入らなかったのは、きわめて意識的なことだった という可能性がある。

一度、月のセンターへ 入ってしまうと、絶対的に 非活動的になるからだ。


もう一つの話だ。
イエスは 洗礼者ヨハネに イニシェートされた。
彼は 洗礼の ヨハネの弟子だった。

ヨハネ自身は、その時すでに 偉大な革命家であり、偉大な宗教家だった。
彼は、イエスが現れるのを 何年も待っていた。

ヨハネヨルダン川で イエスをイニシェートした その日、彼は イエスに こう言った。
「さあ、私の仕事を引き継ぎなさい。
私は 消え去る。もう充分だ」と。

その日以来、ヨハネは 二度と再び目撃されなかった。

彼は 森の中に 消え去った。

内なる言葉で表現するなら、彼は 太陽の地点から 月の地点へと消え去った ということだ。

彼は 静かになった。
彼は 自分の仕事を終え、その仕事を完成させる者に それを渡した。

イエスが磔にされる まさにその日、イエスは ヨハネがしていた仕事が 終わったことに、気づいたに違いない。
彼は そのことを思っていたに違いない。

「彼の仕事には もうこれ以上の可能性はない。
もう、私には これ以上 何もできない。
今、私は 月のセンターに入らねばならない。
この機会を 逃してはならない」と。


だからピラトがイエスに「真理とは何か?」と 聞いた時、彼は 沈黙を保った。


それは イエスらしくない。
禅の師のようだ。

イエスというより、ブッダのようだ。

そのせいで、キリスト教にとって 謎とされる不可解なことだった 起こった。
そのせいで 不思議なことが起こった。


…04に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社