「イエスは 太陽のポイントであり、キリストは 月のポイントだ」02

ヒンドゥー教には、共産主義を 生み出すことはできない。

他の どんな宗教も、共産主義を 生み出すことはできない--- 不可能だ!

唯一、キリスト教だけだ!

イエスのことを考えたら、それは 筋が通っている。
彼は 最初の共産主義者だった。
彼は 意気盛んで、反逆的だった。

彼が 使っていた言葉そのものが、全く違っていた。

彼は、とても信じられないようなことで怒った--- たとえば イチジクの木に。

彼は イチジクの木を 倒した。

彼と弟子たちが お腹がすいているのに、イチジクの木が、何も実をつけていなかったからだ。

そこで彼は イチジクの木を倒した!
彼は ブッダには言えないような言葉で イチジクの木を脅した。

自分を信じない者、そして神の王国を信じない者は「地獄の火に 放り込まれる」だろうと--- 地獄の永遠の火--- それを信じない者は、そこから戻れない。


キリスト教の地獄だけが 永遠だ。

他の 宗教の地獄は全て、ただ 一時的な罰に過ぎない。

あなたは そこへ行く。
そこで 苦しむ。
そして 戻ってくる。

だが、イエスの地獄は 永遠だ。
それは 正当でないように見える。

全く 正当ではない。
その人が どんな罪を犯したとしても、罰が 永遠に続くのは 正当ではない。
それは あり得ない!

一体、どんな罪を その人が犯したというのか?



バートランド・ラッセルは
「私が どうしてキリスト教徒ではないか」という本を書いている。

その本の中での 理由の一つはこうだ。
「イエスは 不合理だ」と。

バートランド・ラッセルは言う。
「もし私が 今まで犯した罪と、決して犯してはいないが、しようと思った罪を 全て告白したとして、それでも、五年の禁固刑以上の刑を 私に課すことはできない」と。


永遠に続く罰? 終わりのない罰?

イエスは 革命家の 言葉を話していた!

革命家は いつも別の視点から--- 極端な見方をする。

彼は 金持ちに こう語る--- それはブッダやマハヴィーラには 考えられないような言葉だ--- それは
「ラクダが針の穴を 通り抜けられても、金持ちが 天の 父の門を通って 神の王国へ行くことはできない」と。

金持ちが 天の 父の門を通って行けないとは驚きだ!

それが もともとのおごりだ。

イエスは 革命家だった。
彼は 精神性に関心があっただけではなく、経済に、政治に、そして全てに関心があった。

実際、もし彼が 精神的な人間なら、磔に かけられることはなかっただろう。

彼が 磔にかけられたのは、あらゆることに対して--- 社会の 構造全体、特権階級に対して、彼の存在が 危険になったからだ。

が、彼は レーニンや 毛沢東のような革命家ではなかった。

無論、マルクス毛沢東の存在は、歴史の中に 一人のイエスが存在しなければ、考えられない。
彼らは 初期のイエス、磔にかけられたイエス、その時のイエスと 同じ部類に属する。


イエスは 意気盛んで 反逆的で、全てを破壊する用意があった。

だが、彼は ただの革命家ではなかった。
彼は 精神的な人間でもあった。

彼は、言うなら、マハヴィーラと 毛沢東が混ぜ合わさった形だ。

だが、「毛沢東」は 磔にかけられ、「マハヴィーラ」は 最後まで 生き残った。


イエスが磔にかけられた 日は、磔の日 というだけではなかった。

その日は、彼の 内なる深い変容の日 でもあった。

磔にかけられた日、ローマ政府の 知事であるピラトは イエスに こう聞いた、「真理とは何か?」と。

イエスは 無言のままだった。

そのふるまいは、全く イエスのようではない。

それは 禅の師(マスター)のようだ。

もしあなたが イエスの以前の生き方、あり方を 総じて見れば、誰かが「真理とは何か?」と 聞いて、黙ったままでは、全く イエスらしくなかった。

彼は 黙ったままでいるタイプの 師ではなかった。


何故、イエスは 黙ったままだったのか?

何が 起こったのか?

何故、イエスは 話さなかったのか?

何故、イエスは 窮してしまったのか?

何故、話せなくなってしまったのか?

彼は、今までに世界が生んだ 最も偉大な 弁舌家の一人だ--- 何のためらいもなく、最も偉大な弁舌家である といい得る。

彼の言葉には 実に浸透力がある。

彼は 沈黙の人ではなく、言葉の人 だった。

なのに何故、突然 黙りこくってしまったのか?


…03に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社