「イエスは 太陽のポイントであり、キリストは 月のポイントだ」01

質問・・・
「 OSHO, ある夜 あなたは『キリスト教は、イエスが 燃えるように意気盛んで、反逆的で活動的で、太陽のような意識を 自己の内側に持っていた三十三才の年で亡くなったために、未完成に終わった 』とおっしゃいました。
それはイエスが 完全な精神的成長に、内なる静寂、内なる平和に、ブッダや マハヴィーラのような、内なる 満月のステージの意識に達しなかった という意味でしょうか?
 どうか、その点を明らかにしてください。」



それを理解するには、多くのことを 考慮すべきだ。

一つは、キリスト教にとって、イエスが 三十三才の年で死んだ ということだ。

覚えておきなさい、それは キリスト教にとってだ。

現実には 彼は死んでいなかったからだ---
彼は 百十二才まで生きた。
が、それはまた別の話であり、キリスト教とは 全く関係がない。

そしてイエスは、ブッダやマハヴィーラや クリシュナのように、完全に 光明を得て死んだ。

そのことが、まず 最初に理解すべきことだ。


キリスト教では、次のことしか語られていない。
「イエスが 磔にかけられた後、甦ったのを目撃された。
そしてその後 三日間、どこかで 何人かの弟子たちに目撃され、また別の弟子たちに 別の場所で目撃された。
その後、彼は 消え去った」と。


一つのことは 確かだ。

キリスト教でさえ、イエスが 十字架上で 死んだか 死ななかったか、どちらにしろ、磔の 三日後に目撃された と考えている。

彼らは、イエスが十字架上で死に、その後 甦った と考えている。
だが そうだとしても、彼らは、この甦ったイエスに 何が起こったのかを 何も語っていない。

聖書は 沈黙している。

甦りの後 目撃されたこの男に、一体 何が起こったのか?

彼は いつ再び死んだのか?

彼は 死んだに違いない。
十字架上では 死ななかったのだから。

この男、イエスに 何が起こったのか?

聖書は 不完全だ。

イエスがイスラエルから 消え去ったのだから。



カシミールには、イエス・キリストの それ---
彼の 墓だと思わしき社がある。

彼は インド、 カシミールで生きていた。
そして 百十二才で死んだ。

磔にかけられた時、彼は、まさに 月のセンターに 入るところだった。

まさにその日--- 磔にかけられた まさにその日、彼は 月のセンターに入った。

それが 次に理解されるべきことだ。

聖書の中のイエスは、ブッダやマハヴィーラや 老子のようではない。

彼は そういう感じではない!

ブッダが 寺へ行き、両替商を殴るなどと 想像できない--- それは 考えられない!

だが イエスは それをした。


彼は 寺院を訪れた。
その日は、毎年 行われる祭りの時だった。

多くのことが、イスラエルの大きな寺院と関わっていた。
そこでは、両替商の大きなビジネスが関係していた。

それらの 寺院の両替商たちが、国全体を 搾取していた。

人々は その 年に一度の祭りに集まり、また別の祭りにも集まる---その時、彼らは 高い利子で お金を貸していた。

が、それらを返済するのは 不可能だった。
だから人々は 全てを失い、その寺院が さらに豊かになっていった。

これは 宗教帝国主義だった。

そして 国全体が貧しくなり、苦しみ、金は その寺院に 自動的に集められていた。


イエスは ある日、手に鞭を持って寺院に入り、両替商の机を ひっくり返し、両替商たちを 鞭で打ち始めた。

彼は寺中を 混乱に落とし入れた。


あなたは、ブッダが そんなことをするとは考えられない。

あり得ない!


イエスは 最初の共産主義者だった。
そして実際、それが キリスト教共産主義を生み出した理由だ。


…02に 続く



「究極の錬金術 Ⅱ 」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る by OSHO,

(翻訳者) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社