saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質問・・・「OSHO, 昨夜 あなたは 内なる静寂という次元から来る内なる静けさについて、話して下さいました。 今度は、別の次元から来る内なる静けさについて話してくださいませんか?」03

(…その習慣を壊すことだ。
人は その習慣から抜け出す必要がある。)

あなたが 何をしていようと、一つのことだけは 覚えておきなさい。

それをしている間、現在 という瞬間に留まること。
それは 難しい。
骨が折れる。
すぐには できないだろう。
長い習慣を 打ち破ることだ。

それは 困難な戦いになるだろう。
が、やってみなさい。

まさに その努力が、ギャップを作り出すだろう。
まさに その努力が、あなたに 現在 という瞬間を与えるだろう。


一度 その味を知れば、あなたは 道の上にいる。

だが あなたは、現在 という瞬間の味さえ知らない。
あなたは 一度も それを味わったことがない。

あなたは 一度も、現在 という瞬間を生きたことがない--- 一度も、と 私は言う。

一方、現在 という瞬間は、いつも ここにある。
それは 生そのものだ、それは 生における全てだ。


イエスは言った。
「我々は 死んでいる---生きてはいない!」

ある日、ちょうど朝日が 昇ろうとした時、イエスが 一人の 漁師のそばを通りかかった。
漁師は、湖に 網を投げているところだった。

するとイエスは 手を漁師の肩に掛け、こう言った。
「あなたは 魚を捕ることで、自分の人生を 台無しにするつもりなのか?
私は、あなたに もっといいものを捕ることを 教えられる。
私はあなたを、生の漁師にさせられる」と。

その漁師は、まるで 何か磁石に引きつけられたように イエスを見た。

そして彼は 網を捨て、イエスについて行った。

彼等が ちょうど村から出ようとした時、誰かが 追いかけてきて、その漁師に言った。
「おまえの親父が 死んだぞ。たった今 死んだところだ。
家に帰るんだ。何をしているんだ?」

そこで漁師は イエスに許しを乞い、こう言った。
「私を家に 行かせてください。
すぐに帰ってきますから。
親父を 葬らなければなりません」

するとイエスは「死人は死人に葬らせておけばいい。
あなたが行く必要はない。
あなたは 私について来ればいい。
村には 沢山の死人がいる。
彼等が 死人を葬るだろう」と言った。


イエスからすれば、我々は死人だ。
我々は 一度も 生を味わったことがなく、一度として 現在 という瞬間、実存的な瞬間を 味わったことがないからだ。

我々は もはや存在しない過去に 生きている。

その 存在しない過去を、未来に投影し続けている。
それが、シャンカラのいう マーヤ---幻想の何たるかだ。


シャンカラは 非常に誤解されてきた。
シャンカラが「全世界は幻想だ」と言うのは、人間の世界が幻想だ ということで、この世界のことではない。

我々は 世界について 何も知らない。

我々は、我々自身の 精神世界を作り出した。
誰もが 自分自身の世界を持っている---
この 過去 という世界、この 未来 という世界を。

この 記憶 という世界、この欲望 という世界を。

この世界は 偽物であり、幻想だ。

だからシャンカラは「この世界は偽物だ」と言ったのだ。
それは あなた方の世界 ということであり、この世界のことではない。
自分達の世界が なくなれば、本当の世界を知るに至る。

そしてシャンカラは言う。
「それがブラフマン、真実だ---絶対なる真実だ」



それはあたかも、我々が 夢の世界に生きているかのようだ。

誰もが 自身の 霞がかかった夢に取り巻かれている。
すべての人が、自分の夢に囲まれて 動いている。

それらの夢のせいで、何が真実か、何が実在かを 見ることができない。
実在は、夢の背後に隠されている。

この夢見るマインドは、静かでないマインドだ。
夢を見ないマインドは、静かなマインドだ。

だが 欲望は 夢を作り出す。
あなたは 夜、夢を見る。
あなたは、日中も 夢を見ているからだ。

もし日中に 夢を見なければ、夜に 夢を見ることは あり得ない。

ブッダが 夢を見ることは あり得ない。

夢とは 欲望であり、欲望が 夢だからだ。

日中、それが存在する時は、欲望 と呼ぶ。

夜、それが存在する時は、夢と呼ぶ。

が、あらゆる欲望は 夢だ。
何故?
それは、あらゆる欲望が まだ来ない未来にあるからだ。

あらゆる欲望は、まだ来ない 未来への欲望だ。

未来は まだやって来ていない!

我々は 夢を 見続ける。
その夢見の状態を、打ち破ることだ。

夢を見ることは 一つの動きであり、絶え間なき動きだ。

あなたは 夢で一杯だ---打ち破るべき夢、燃やすべき夢、新しく 作り出された夢で。

毎日、我々は 古い夢を放り出し、新しい夢を 作り出す。



あらゆる瞬間、あらゆる行為の中で、今、ここに、いようとしなさい。

たとえその努力が 障害であっても、始めることだ。
初めは 努力しなければなるまい。

その努力でさえ、障害になる。
努力は、またもや 未来へと あなたを連れていくからだ。

だが、初めに人は 努力しなければならない。
その次、第二ステージでは、無努力の努力をすることだ。

その次、第三ステージでは、努力は 消え去り、あなたは 現在という瞬間の中に 在る。


あなたが 通りを歩いているとする。
その時、ただ歩く ということをしてみなさい。
何も 他にしてはならない。
それは 単純なように見える。
が、そうではない!

あたかも、私たち みんながそうしているように見える。
そうではない!

あなたが 歩いている時、あなたのマインドは、何千もの 別のことをしている。

一歩 一歩、前へ進むこと、ただ歩きなさい。


ブッダ曰く
「歩く時は ただ歩く。
 食べる時は ただ食べる。
 話を聞く時は、ただ聞くことだ」


…04に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る
(講話) OSHO

(翻訳) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行) 市民出版社