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質問・・・「OSHO, 昨夜 あなたは 内なる静寂という次元から来る内なる静けさについて、話して下さいました。 今度は、別の次元から来る内なる静けさについて話してくださいませんか?」02

(…過去は マインドの中に、記憶の中にある。
その記憶ゆえに、未来へと 記憶が投影される。)

我々は普通、時間を 三つの時制---
過去、現在、未来に 分ける。

だが本当は、過去と未来は、まったく時間の 一部ではない。

それらは マインドの 一部であり、時間の 一部ではない。

時間には 一つの区分があるだけだ。
もし それを区分と呼べるなら、それが現在だ。
時間は いつも現在にある。

それら 三つの区分は、時間のためのものではない。
過去と未来は マインドのものであり、時間のものでは全くない。
現在 という瞬間だけが、時間に属する。

だが、それを現在と呼ぶのは難しい。

我々にとって、言葉上での 現在とは、過去と未来の間の 何かを 意味するからだ。
時間は過去のことであり、未来のことでもある。

もし 過去も未来も なければ、「現在」という言葉は、その意味の全てを 失っていただろう。



エクハルトは こう言ったそうだ。
「時間は存在しない---永遠の “今” が あるだけだ」

そこには 永遠の “今” が あり、無限なる “ここ” が ある。


我々が「そこ」という時、それは 我々がいる場所を 示している。
さもなければ、 “ここ” があるだけだ。

もし私が “ここ” に いなければ、ここにいる、あるいは、そこにいる ということに、何の意味があるだろう?

私自身に 関して言えば、自分に 一番近いところを「ここ」と言う。

自分に近くないところを「そこ」と言う。

では、どこで「ここ」が終わり、どこから「そこ」が 始まるのか?

線で 区分することは、我々には できない。
実のところ、それは 全て一つの「ここであること」---無限なる “ここ” 、 なのだ。



マインドゆえに、我々は 時間を区分する。
すると、我々の経験が 過去になり、我々の期待することが 未来になる。

そして我々が 経験しつつあることが、現在 ということになる。

だが マインドが なければ、それは 再び 無限なる今、永遠なる今になる。

ここ、たった今、それが実在だ。

そこ、その時は マインドの 一部であり、実在の 一部ではない。


静けさを 二番目の次元から考えると、瞬間 瞬間、生きるための努力をする という意味だ。

そうすれば、あなたは 穏やかで静かだ。

その時、あなたの内側には 震えも揺らぎも 動きもない。

全てが、深い静寂のプールに なっているだろう。

だが、何故マインドは、過去と未来の間を 行き来するのだろうか?



ブッダは、時間のことを示す言葉 タンハに、トリシュナ---欲望 という名前を与えた。

ブッダ曰く
「あなたは ある経験をしたがゆえに、その経験を 再び欲する。
欲望ゆえに、あなたは未来へと 動く。
だから欲望しないことだ。
そうすれば 未来は存在しない」

だが、それは難しい。

マインドが 快楽を経験すれば、その繰り返しを 欲するし、不快な経験をすれば 繰り返したくない。
マインドは その経験を避けたい。

そこで、未来 というものが作り出されることが、全く自然なことになる。

それゆえに、我々は 現在という瞬間を 見逃し続ける。



あなたが 私の話を 聞いている。

あなたは、ただ聞くこと ができる。
もし そうなら、そこには どんなマインドも ない。
それは マインドのない 聞き方だ。
が、
もし私の話を聞き、かつ理解しようとしたら、あなたは 未来へ行っていることになる。

もし、自分に 何を言われているかを 考えているなら、あなたは 言われていることを 見逃している。
あなたは未来へと 行ってしまった。

“現在” は、あまりにも微妙で 繊細だ。

短く 原子的で、一瞬の マインドの動きですら、“現在” という瞬間を見逃してしまうほどだ。

ちょっとマインドに引きずられただけで、あなたは “今” を 見逃している。



もしあなたが 聞いていたら、ただ聞く こと。

何を言われているかを 考えないように。

その意味を わかろうとするのではなく---
何故なら あなたは、現在 という瞬間に 二つのことは できないからだ。

聞くことで、充分だ。

もしただ、単に 言われたことを聞くなら、その時あなたは、現在 という瞬間にいる。

そうすれば、聞く ということでさえ、一つの瞑想になる。


マハヴィーラは言っていた。
「もしあなたが正しく話を聞けたら、他に何も 修行する必要はない。
ただ、シュラワック---正しい聞き手であることで、達成され得る全てを 達成するだろう」

ただ シュラワック---正しい聞き手であるだけで。

「ただ聞く」ということは、単に 聞くことではない。
それは大変なことだ。

一度 その秘密を知れば、どこにでも応用できる。
そうすれば、ただ食べることが 瞑想になり、ただ歩くことが 瞑想になり、ただ眠ることが瞑想になる。

そうすれば、あなたが その瞬間に関わっていること、まったく未来に向かう 動きがなく、その瞬間に関わっていること全てが、瞑想になる。


だが我々は、現在 この瞬間にある行為を、全く知らない。
過去を 考え始めるか、未来を 考え始めるかの どちらかだ。
そして、現在 という瞬間を 見逃し続ける。

それが「存在は絶えず見逃され続けている」という意味だ。

するとそれは 一連の流れになり、一つの癖になる。

…略…

それは 悪循環だ。
もしあなたが 願望したら、未来に行ってしまう。

それは悪循環を作り出す。
その未来が 現在になった時、あなたは 再び未来へと 行くだろう。

今日、私は 明日の事を 考える。
すると それは習慣になる。
そして明日は 決してやって来ない。
やって来れない。
それは 不可能だ。

明日が やって来たら、それは またしても今日だ。

そうして、今日から明日へと行く習慣を 作り出す。

明日がやって来たら、それは今日として やって来る。

その時、私は またしても明日へと行ってしまう。
それは 鎖のように つながっている!

そうすればするほど、それが うまくなっていく。
だが、明日は 決してやって来ない。
やって来るのは いつも今日だ。

あなたは 今日とは関わらない。
あなたには 一つのメカニズムがある。

今日であるがゆえに、あなたは どこかに行ってしまう、
それは 大変な習慣だ---この生だけではなく、何生も そうしてきている。


その習慣を 壊すことだ。

人は その習慣から 抜け出す必要がある。


…03に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る
(講話) OSHO

(翻訳) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行) 市民出版社