saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

質問・・・「OSHO, 昨夜 あなたは 内なる静寂という次元から来る内なる静けさについて、話して下さいました。 今度は、別の次元から来る内なる静けさについて話してくださいませんか?」01

静けさには、多くの次元がある。

その 一つは、静寂だということ、それは 音の反対だ。
それは 無音だ。

二番目の次元は、動きがない ということだ。

静は 動の反対だ。

マインドは 音であるのと同じように、動きでもある。
音は 聞く側に伝わり、マインドもまた 伝わる。

マインドは 絶え間なく動いている。
決して じっとしていない。
じっとしているマインドは 考えられない。
そういうものは ない。

静けさがあれば、マインドは もう存在しないからだ。
マインドが あれば、そこに動きがある。

それでは、マインドの動きとは 一体何だろうか?
それを通して、我々は 静けさの 二番目の次元---不動について 考えることができる。

外の世界では、我々は 動きとは何かを知っている。
一つの点から もう一つの点への移動だ。
一つの場所から 別の場所へと移動する。

Aから Bへと 移動する。
あなたが Aにいて、Bに移動すれば、そこに 動きがあった ということだ。

マインドの範疇ではない次元では、動きとは、一つの場所から 別の場所へ移動することだ。

もし スペースが存在しなければ、あなたは 動けない。

外の世界において 動くには、スペースが必要だ。
内なる世界では、動きは スペースの中に あるのではなく、時間の中にある。

もし時間がなければ、あなたは 内側では動けない。

時間が、内側における スペースだ。



一つの瞬間から 別の瞬間へと、あなたは動く。

この日から あの日へと、ここから どこか別の場所へ、今から その時へと、時間の中を 動く。

時間が 内側におけるスペースだ。

あなたのマインドを 分析すると、過去から 未来へ、あるいは、未来から過去へと 動いていることがわかるだろう。


あなたは、過去の記憶の中を 動いているか、未来の願望の中を 動いているかの どちらかだ。

あなたが 過去から未来へ、あるいは未来から過去へ動いても、あなたが使えるのは 現在 という瞬間しかない---ただの 通り道として。

現在とは、マインドにとって、ただ過去と未来を 分けるものにすぎない。
実際 マインドにとって現在とは、実存的なものではない。

それは あなたが過去へ、あるいは未来へと動ける 分け目であるに過ぎない。

マインドとは、決して 現在の中にいない。
あなたは 現在の中を 動くことはできない。
次のように 理解することだ。


あなたは 現在の中を動くことはできない。
現在の中には、時間は存在しない。

現在とは、いつも 一瞬だ。

同時に 二つの瞬間にいることは、絶対にない。
一つの瞬間だけが、あなたに 与えられている。

だから、Aの瞬間から Bの瞬間へとは 動けない。
現在においては Aだけがあり、Bは ないのだから。
現在 という瞬間の中の、この時間の性質を理解しなさい。

あなたには、ただ 一瞬間しか与えられていない。

あなたが 路傍の乞食であろうが、皇帝であろうが、違いはない---時間の富は 同じだ。

一度に 一瞬しか、与えられていない。
そしてあなたは、その一瞬の中を 動くことはできない。
動くところがない。

一方、マインドは 動きの中にしか存続できない。

だから、マインドは決して、 現在という瞬間を 使えない。
マインドは 過去へと 戻る。

そこには、たくさんの 動く地点がある。
長い記憶がある。
あなたの過去 すべてがある。


それとも、未来に 行くかだ。
そうなると またしても、あなたは 想像できる。

未来もまた、根本的には 過去の投影だからだ。
あなたは 生きた。
あなたは 多くを体験した。

あなたは それらを 再び欲し、あるいは それから逃れたい と望む。

それが あなたの未来だ。

あなたは ある人を愛した。
それはビューティフルで、喜びに満ちていた。
そこで、あなたは その体験を再び欲する。
そして、その体験を 再び繰り返したい という願いを、未来に 投影する。

あなたは病気で、苦しんでいた。
未来では、その病気の体験を 避けたい。
そこであなたは 再び病気にならないように という望みを、投影する。

あなたの未来とは、ただ 過去が投影されたものだ。
すると、あなたは 未来へと動ける。

だがマインドは、この世の未来では 満足しない。
マインドは 天国を投影する。
マインドは 来世を投影する。

マインドは 小さな未来には 満足しない。
そこで、死の向こうにも また、マインドは 時間を作り出す。

過去と未来とは、広大なるテリトリーだ。
あなたは その中を、楽に動くことができる。

だが、現在という瞬間の中では 動けない。



不動とは、現在 という瞬間にいる、ということだ。
それが、静かであることの 二つ目の次元だ。

もしあなたが この瞬間、たった今、ここに在ることができれば、あなたは静かになる。
それ以外では あり得ない。
その時には、静かである以外に あり得ない。

今を生きることだ。
すると 動きは止まる。

というのも、マインドが止まるからだ。

過去を 考えないこと。

未来に 投影しないこと。

あなたに与えられたものが 全てだ。

そこで頑張りなさい。
そこに 踏み留まる。
自分に与えられているものに 満足しなさい。

まさに この瞬間が、唯一、真の実存的 時間だ。

それより他に どこにもない。

過去とは ただの記憶だ。

それは マインドの中にあるだけだ。
ただ 埃が降り積もったもの、体験が積み重なったものに過ぎない。

存在には 過去はない。 存在には 未来はない。

存在は、この瞬間だ。


もし人間が この地球に いなかったら、過去も未来も 存在しなかっただろう。
無論、花は開いただろう。
が、それは この瞬間だ。

太陽が昇っただろう。
が、それはこの瞬間のことだ。

もし人間がいなければ、地球は 過去のことなど 何も知らないし、未来のことなど 夢にも見なかっただろう。
そこには、過去も未来も 存在しなかっただろう。

過去は マインドの中に、記憶の中にある。
その記憶ゆえに、未来へと 記憶が投影される。


…02に 続く


「究極の錬金術 Ⅱ」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る
(講話) OSHO

(翻訳) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行) 市民出版社