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「質問」---------OSHO、普通、自分が感情タイプか、知性タイプか とても迷う時、自分が どちらのタイプに属するか、どうやって最終的に決められるのでしょうか?(03)

 たとえば、ガンジーは 長い断食をすることに決めた。
真夜中に 彼は起き上がって決意した。

そして、朝になって、彼は友人に
「今から、私は長い断食に入る」と 告げた。

…(略)…

そして、そこには『私は長い断食に入らなければならない』という 神からのメッセージがあったのです」と 言った。

が、一体何のために?

ガンジーは あらゆる理由を見つける。
が、それらの理由は 後から付け加えられたものだ。



それらが 三つのタイプだ。

もし行動が まず第一にやって来て、その後に感情、そして 考えることがやって来るのなら、あなたは自分の中で、一番多くの割合を占めている要素を判定できる。

そして、一番多くの割合を占めている要素を 判定することは、非常に役立つ。

その後、真っ直ぐに 先に進んで行けるからだ。
さもないと、あなたは いつも
ジグザグに 進んで行くだろう。

自分が どのタイプか わからない時、あなたは不必要に、自分が 行くべきでない次元や 方向へと入ってしまう。

もしあなたが 自分のタイプを知っていれば、自分自身に対し 何をすればいいのか、どうすればいいのか、どこから始めればいいのかがわかる。


第一の要点は、何が最初に来て
何が 二番目に来るかを 覚えておくことだ。

そして、二番目は 実に不思議に見えるだろう。

たとえば 行動タイプの人は
反対のことを いともたやすく実行できる。
それは、彼が いともたやすく
リラックスできる ということだ。

行動タイプの人は、ごく簡単に リラックスできる!

ガンジーのリラクゼーションに至っては 奇跡的だ。
彼は どこででも リラックスできた。

だが、それは とても逆説的に見える。
行動タイプの人は 非常に張り詰めていて
リラックスできない、と 思われがちだ。
が、実際は そうではない。


行動タイプの人間だけが、ごく簡単に リラックスできる。

考えるタイプの人間は
それほど簡単に リラックスできない。

感情タイプの人間に いたっては
それ以上に リラックスが難しいと わかるだろう。

が、行動タイプの人間は いとも簡単にリラックスできる。


そこで、あなたが どのタイプに属するか という第二の基準は、反対のものへ いともたやすく動けるかどうかだ。

だから、覚えておきなさい。
もしあなたが 反対のものへと動けるなら、それが あなたの優位を占めるタイプだ。

もし ごく簡単にリラックスできる とすれば
あなたは 行動タイプの人間だ。

もし 無念無想の状態に いともたやすく入って行けるのなら、あなたは 思考タイプの人間だ ということだ。

もしあなたが、いともたやすく 感情のない状態に 入って行けるとすれば、感情タイプの人間だ ということだ。

だが、それは不思議なことだ。

というのも、普通、我々は「感情タイプの人間--- 彼がどうして 感情のない状態に入って行けるのか?

思考タイプの人間、彼が どうやって無思考の状態に入っていけるのか?

行動タイプの人間、彼が どうやって無行動の状態に入っていけるのか?」と 考える。

が、それは逆説的に 見えるだけのことだ---
本当は そうではない。


反対のものは 一つのものであり、両極のものは 一つのものである ということは、物事の 根本的な法則の 一つだ。

それはちょうど 大時計の 振り子のように --- ちょうど振り子が 左端に行き、それから右端に行くように。
そして、振り子が 右端に着くと、左端へと 動き始める。

振り子が右端に 行けば、左へ動くための動力を 蓄積する。

振り子が 左端へ行く時
それはあたかも 左へ行っているように見える。
だが実際は、振り子は 右へ行く用意をしているのだ。

対極へ 動くのは 簡単なことだ。



心に 留めておきなさい。

もし楽に リラックスできる とすれば
あなたは 行動タイプに属する。

もしあなたが 楽に瞑想できる とすれば、思考タイプだ。
だから、ブッダは いとも簡単に 瞑想に入って行けたのだ。

だから、ガンジーは とても楽に リラックスできた---

自動車事故の さなかにあっても。

その事故は、ガンジーが 昼寝をし
ゆっくりと くつろぐ時間に 起こった。
が、その自動車事故のために
彼が行く予定の場所に 着けなかった。

そこで、ガンジー 一行は 待たねばならなかった。
それは ひどい事故だった。

みんなが ひどく恐がって、心配していた。
が、ガンジーは、道路の脇で 昼寝をしていた。
彼は待つことが できなかった!

その時間は 彼の昼寝の時間だった。
だから、彼は寝てしまった。

別の車が 彼らを 見つけにやって来た時、彼は 熟睡していた。


そのように、行動タイプの人間は ごく簡単に
リラクゼーションへと動ける。

ネルーには、どうしてそんな奇跡が起こったのか考えられなかった---それは、彼にしてみれば 奇跡だった。
ネルーは 行動タイプの人間ではない。
彼は リラックスできない。


ガンジーは 一日のうちに、数多くリラックスできた。
彼は 何度も眠っていた。
時間がある時は いつでも眠っていた。
眠ることは、彼にとって とても簡単なことだった。


ブッダは 無思考の境地に入って行くことができた。
ソクラテスも無思考の境地に入って行くことができた---いともたやすく。
普通、それは難しいことに 見える。

余りにも考え過ぎる人、彼にどうして考えることを まったく、なくしてしまえるだろう?
どうやって無思考状態に 入って行けるのか?

ブッダの メッセージの全ては、無思考であることだ。

だが、彼は 思考タイプの人間だった。

彼は 実に多くのことを 考えていた人間だ。
実際、彼は まだ新しい。
ブッダが肉体をはなれて 二十五世紀が過ぎた。
それでもまだ、ブッダは 我々と 同時代の マインドに属している。
それほど同じ時代の マインドを持つ者は 他に誰もいない。

今日の思想家にさえ、ブッダは古い とは言えない。
彼は 実に多くのことを思考していた---何世紀も先を---そして、いまだに 彼には現代人のマインドに アピールするものがある。

どの思想家であれ
ブッダは その人に アピールするものがある。
彼は 最も純粋なタイプだからだ。

が、彼のメッセージは、無思考状態の中に 入りなさい、というものだ。

深く 思い巡らした人達、彼らは いつも
「無思考状態の中に入って行きなさい」と 言う。
が、なぜ彼らには、それが ごくたやすいのだろう?

彼らは 何の苦労もなく 内側に入れる。



たとえば ミーラ、彼女は 感情タイプだ。
チャイタニア、彼も 感情タイプだ。

彼らの感情は 余りにも多すぎて、小数の人、小数の物事に向かってだけ、彼らの愛を 留まらせることはできない。

彼らは 全世界を 愛さなければならない。
それが 彼らのタイプだ。

彼らは 限定された愛に 満足できない---
愛は 無限なるものでなければならない。
愛は 無限にまで 広がっていくべきだ---


…(略)…

するとチャイタニアは、
「いや、今から私は、無執着の境地に入って行きたいのです。
私は 今まで 感覚的な生を生きていました。
だから、今からは 感覚のない境地へと進んでいきたいのです。
どうか私の力になって下さい」と 言った。


感情タイプの人間は、そのように動くことができる。
チャイタニアは 動いた。

ラーマクリシュナは 感情タイプの人間だ。
そして、最後に彼は ヴェーダンタへと動いた。

生涯にわたり、彼は マザーの礼拝者であり 献身者だった。

そして、最後に 彼はヴェーダンタの師、トータプリの弟子となった。
そして、感情のない世界へと導かれていった。

多くの人々が トータプリに言った。
「どうして、あなたは この男、ラーマクリシュナを導くことができたのですか?
彼は感情タイプの人間でした!
彼にとっては、愛こそが唯一のものでした。
彼は 祈ることならできます。
礼拝することならできます。
踊ることならできます。
エクスタシーの中に入っていくことならできます。
でも、
彼は 無執着の境地へ進めませんでした。
彼は 感情を超えた領域へ進めなかったのです」と。

すると、トータプリは言った。
「だからこそ、彼は無執着へ 進めるのだ。
私は彼を 無執着の領域へと導くつもりだ。
あなた方には、その領域へ進めまい。
彼は無執着の領域へと 進むだろう」と。


あなたが どのタイプの人間かを判定する 二番目の基準は、もしあなたが 対極へと動けるなら、そのタイプに属する ということだ。


だから まず最初に、自分が どんな反応をするかを 見ていなさい。

そして、対極への 動きを見ているのだ。

それらは 二つのことだ。

そして、絶えず 内側を探索しなさい。

二十一日間だけ、これら 二つの動きを ノートにつけ続けなさい。
一番初めに、あなたが どう反応するか---最初の反応が何なのか、種となるもの、スタートと なるもの---
そして、どの対極へ 楽に動けるのか、無思考だろうか?
それとも 感情のない状態だろうか?
あるいは、無行動状態だろうか?

二十一日の 間に、自分のタイプが 理解できるようになるだろう---それは もちろん、優位を占めるタイプのことだ。


ほかの 二つのタイプは、ちょうど影のようにあるだろう---なぜなら、純粋なタイプは 存在しないからだ。

純粋なタイプは あり得ない。
そんなことはあり得ない。
三つ 全てのタイプが
一人の 人間の中に部分として 存在している。

ただ 一つのタイプだけが
他よりも重要だ ということにすぎない。


一度、自分が どのタイプの人間かを知れば、あなたの道は とても楽なものになり、スムーズに 進める。

そうすれば、自分のエネルギーを浪費しなくなる。
あなたは 自分のものではない道に
必要もなく エネルギーを散逸させなくなる。

実際、自分のタイプを 見い出だすことは
霊性の探求のために 基本的な必要条件だ。

さもなければ、多くのことを し続けていても
混乱を作り出すだけだ。

一種の 崩壊状態を作り出すだけだ。

それが、ギータの中で クリシュナが「スワバウ」---あなたの性質、タイプという言葉で意味していることだ。

その中で彼は
「自分のものでないタイプで成功するよりは、自分自身のタイプで 失敗して死んだほうがましだ」と 言っている。

失敗に終わったほうがいい---たとえ失敗に終わったとしても---他の誰かのタイプに従って成功するよりも 自分自身のタイプに従ったほうがいい。

なぜなら、その成功は 一種の重圧、一種の重荷、一種の負債になってしまうからだ。

自分自身の性質に従って失敗しても かまわない。
その失敗したことでさえ
あなたを 豊かにしてくれるだろうから。

あなたは その経験を通じて、成熟するだろう。
その経験を通じて、多くを知るだろう。
その経験を通じて、大きくなるだろう。

だから、あなたが 自分自身のタイプに従って
失敗したとしても、かまわない。

あなたが どのタイプの人間か、どのタイプが あなたの中で 優位を占めているかを 見つけ出しなさい。

その後、見つけ出したタイプに従って
精進していけばいい。
そうすれば、その精進は楽で
ゴールは より簡単近いものになるだろう。



「“THE ULTIMATE ALCHEMY”, Volume Ⅰ,」by OSHO
「究極の錬金術 Ⅰ」古代の奥義書 ウパニシャッドを語る
(翻訳) スワミ・ボーディ・イシュワラ
(発行所) 市民出版社