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「瞑想は内省ではない」02

(…そして、これがその美しさだ。
もし怒りを見ることができれば、怒りは消える。)


それは その瞬間消えるだけでなく、その深い内観によって起こる 消滅そのものが 鍵を与える。

意志を使う 必要はない。

未来に対して いかなる決意を持つ 必要もない。

その出所である源泉に 向かう必要もない。

それは不必要だ。
いまや、あなたは 鍵を握っている。

怒りを 見るがいい。

そうすれば、怒りは消える。

しかも、この内観は 永遠に用いられる。

怒りがあるときは、つねに 見ることができる。

そうなれば、この内観は さらに深く成長する。


 内観には 三段階ある。

第一段階は、怒りが すでに起こり、過ぎてしまったときだ。

それは、あたかも消えてゆく 尻尾を見るかのようだ。

象は去り、尻尾だけが残っている。

怒りが あったときには すっかり巻き込まれ、真に気づくことができなかった。

怒りが ほぼ収まり、九十九パーセント消えたとき---ただ 一パーセントだけ、その最後の部分が まだあり、遥か彼方の地平線上に 消えつつある---そのときに、気づくこと。

これが 気づきの第一段階だ。

すばらしい。
だが、それだけでは 充分ではない。


 第二段階は、象がいるとき---尻尾ではない---その状況の 真っ只中だ。

まさに 怒りの絶頂にあり、沸き立ち、燃え上がっている。

そのときに、気づくことだ。


 それから、第三段階が ある。

怒りは まだ来てない。

だが、来ようとしている。

尻尾ではなく 頭だ。

それは、まさに意識の領域に 入りつつある。

そして、あなたは 気づく。

そのとき、象は まったく物質化されていない。

あなたは その動物が 生まれる前に殺した。

それは 産児制限だ。

現象は まだ起こっていない。

そのとき、それは 足跡を 残さない。


「誤った方法論『瞑想は内省ではない』」おわり。


MEDITATION
THE FIRST AND LAST FREEDOM by OSHO,
「新瞑想法入門」
(翻訳) スワミ・デヴァ・マジュヌ
(発行) 瞑想社
(発売) (株) めるくまーる