「瞑想は集中ではない」02

 基本的なことを いくつか話してみよう。

第一に、瞑想は集中ではなく、くつろぎだ ということ。

人は、単純に 自分自身にくつろぐ。

くつろげば くつろぐほど、自分が よりオープンに、素直になり、堅さが取れてくる。

あなたは ますます流動的になる。

すると、突然、〈存在〉が浸透してくる。

あなたは もはや岩のようではない。

あなたは 開きはじめる。


 くつろぎとは、自分が 何もしていない状態に 深く入ってゆくにまかせることを意味する。

というのも、何かをしていれば 緊張が続くからだ。

くつろぎとは、何もしていない状態のことだ。

ただ くつろぎ、その感覚を 楽しむ。

自分自身にくつろぎ、ただ 目を閉じ、まわりで起きていること すべてに聴き入るがいい。

何であろうと、気が散ると 思う必要はない。

それ が 気を散らせると 感じるとき、あなたは 神を否定しているのだ。


 一羽の鳥として、神が あなたを訪れたこの瞬間、否定してはならない。

神は 一羽の鳥として 扉を叩いている。

次の瞬間には、吠える犬として、泣き叫
ぶ 子供として、または 笑う狂人としてやって来ている。

否定しては ならない。

拒絶しては ならない。

受け入れなさい。

なぜなら、否定すれば緊張になるからだ。

否定は すべて 緊張を生み出す。

受け入れなさい。

くつろぎたければ 受け入れることだ。

周囲で 何が起きていようと受け入れる。

それを ひとつの 有機的統合体にさせる。

それは、実際そのとおりだ。

あなたが 知っているかどうかは知らないが、すべては 相互に関連しあっている。

この鳥たち、この木々、この空、この太陽、この地球、あなた方、私---すべては相関関係の なかにある。

それは ひとつの有機的統合体だ。


 太陽が なくなれば 木々もなくなる。
木々が消えれば 鳥たちも消える。

木も鳥も 消えれば、あなたは 存在できない。
あなたは 消え失せる。

それは ひとつのエコロジーだ。
あらゆるものが 相互に深く関連しあっている。

だから、何ひとつ否定してはならない。

というのも、否定するときには 自分のなかの 何かを否定しているからだ。

さえずる鳥たちを 否定すれば、自分のなかの 何かが 否定される。


 くつろぎとは 受容だ。

存在の受容こそが、唯一 くつろぎへの道だ。

もし些細なことが 自分を妨害するなら、妨害しているのは 自分の態度だ。

静かに坐り、周囲で起きていることに 耳を傾けながら、くつろぎなさい。

受け入れ、そして、くつろぎなさい。

そうすれば、不意に、自分のなかに 計り知れないエネルギーが現れるのを 感じるだろう。



 そして私が「見なさい」というとき、見ようと 努力してはならない。

さもなければ、またしても 緊張してしまう。
集中してしまう。

そうではなく、単純に くつろぐのだ。

くつろぎ、楽なままで、そして、見る のだ。

というのも、ほかに何ができよう。

あなたは 存在する。

為すことは 何もない。

すべては 受け入れられる。

否定や、拒絶されるものはない。

紛争もなく、闘争もなく、葛藤もない。

あなたは、たんに 見守っているだけだ。

いいかね。
ただ、 たんに、 見守る のだ。



「瞑想は集中ではない」おわり
「瞑想は内省ではない」に 続く

MEDITATION
THE FIRST AND LAST FREEDOM by OSHO,
「新瞑想法入門」
(翻訳) スワミ・デヴァ・マジュヌ
(発行) 瞑想社
(発売) (株) めるくまーる