「お喋りなマインド」04

…(言語は必要であり、大切なものだが、つねに そこにとどまるべきものではない。)

あなたが実在的になって、言語化をしていないときも なければならない。

ただ在る といっても、それは ただ無気力なのではない。
意識が そこにある。

それは より鋭敏で、生き生きとしている。

言語は 意識を鈍くさせる。
言語は 繰り返しであらざるをえない。

だが、存在は けっして繰り返さない。
だから、言語は 倦怠を生み出す。

あなたにとって 言語が重要になればなるほど、マインドは言語志向となり、あなたは ますますうんざりしてくる。

言語は繰り返しだが、存在は そうではない。


 薔薇を見るとき、それは 繰り返しではない。
それは 一本の新しい薔薇であり、まったく新鮮だ。
過去には なかったし、未来に再び ということもない。
それが そこにあるのは 最初にして最後のことだ。

だが、「これは薔薇だ」と言うとき、この「薔薇」という言葉は 反復だ。
それは前々からあったし、これからもありつづける。

あなたは 古い言葉で 新しい何かを殺している。


 存在は つねに若々しく、言葉は つねに古い。
言葉を通じて、あなたは存在から逃れる。
言葉を通じて、あなたは生から逃れる。
というのも、言葉は 死んでいるからだ。

言語に 巻き込まれれば巻き込まれるほど、あなたは それに 殺されている。

博学な バラモン的な学者は まったく死んでいる。
なぜなら彼は、言語、つまり言葉以外のなにものでもないからだ。

サルトルは 自伝を書いたが、その題名は『言葉』だった。


 だが、瞑想とは 生きること、全身全霊で生きる ということだ。

そして、あなたは 沈黙しているときにしか、全面的に生きることはできない。
沈黙する ということによって、私は 無意識になれと 言っているのではない。

沈黙しながら 無意識であることもできるが、それは 生きた沈黙ではない。
またしても、あなたは 見逃がしている。


 それなら、どうすればいいのか?
この質問は 的を得ている。

見守るのだ。

止めようとしてはならない。

マインドに対しては 何もする必要がない。
そもそも、誰が それを やるのか?

マインドが マインドを相手に闘っているだけだ。
マインドを 二つに分けることになる。

一方が勝者となって 支配しようとし、同じものの 別な部分を殺す。
それは 馬鹿げている。
愚かなゲームだ。

それは あなたを おかしくさせる。

思考や想念を 止めようとしてはならない。
ただ それを 見守り、許すのだ。
全面的な自由を 与えるのだ。
好きなだけ 速く走らせなさい。

いかなる意味においても、それを統制しようとしてはならない。

ただ 、ひとりの観照者で いなさい。
それは すばらしい!

 頭脳(マインド)は、もっともすばらしい機能のひとつだ。
科学は、いまだに頭脳(マインド)に 匹敵するものをつくり出せていない。

マインドは、いまだに最高傑作のままだ。
きわめて複雑で、途方もなく強力で、非常に大きな潜在的可能性を秘めている。

それを 見守るのだ!
それを 楽しめばいい。


 そして、敵のように 見てはいけない。
なぜなら、マインドを 敵のように見れば、見守ることは できなくなるからだ。

あなたは、すでに偏見を抱いている。
すでに 対立している。すでに、「マインドは間違っている」と 決めつけている。
すでに 結論づけている。

そして 敵として 誰かを見るときは、人はけっして 深く見ないものだ。
相手の目を けっして覗き込まない。
あなたは 避ける。


 マインドを 見守るとは、それを 深い愛をもって、深い敬意、畏敬の念をもって見ることだ。

それは 神から あなたへの贈り物だ!

マインド自体は、どこもおかしくない。
想念自体は、どこもおかしくない。
それは、ほかの過程(プロセス)と同様に ひとつの美しいプロセスだ。

空に漂う雲は 美しい。
それなのに、内なる空を漂う想念の どこがいけないのか?

樹に咲く花は 美しい。
あなたの存在のなかに咲く想念の どこがいけないのか?

海に向かって流れる川は 美しい。
未知の地へ向かって流れる想念の どこがいけないのか?
それは 美しくないのだろうか。


 深い畏敬の念をもって、見つめなさい。
戦士ではなく、恋人でありなさい。

マインドの 微妙なニュアンスを、見守りなさい。
その突然の方向転換、すばらしい動きだ。
その突然の飛躍や跳躍・・・。

マインドが 演じつづけるゲーム、それが織りなす夢、想像、記憶、それが生み出す 無数の投影・・・。
見つめなさい!

そこに立ち、超然として、距離を おいて、巻き込まれないでいたら、あなたは 徐々に感じはじめるだろう。

 「見守ること」が 深まり、「気づき」が深まるにつれて、すき間が、合い間が 見えてくる。

ひとつの想念が 消え、別な想念は まだきていない。
そこには、すき間がある。

ひとつの雲が去り、別の雲が くる前の地点だ。

そこには 合い間が ある。


 その合い間の なかで、あなたは 生まれてはじめて、無心(ノーマインド)の 一瞥を得る。

「無心」の味わいを知る。

それを、禅の味わい、道(タオ)の味わい、ヨーガの味わい と言ってもよい。


…05に 続く

MEDITATION
THE FIRST AND LAST FREEDOM by OSHO,
「新瞑想法入門」
(翻訳) スワミ・デヴァ・マジュヌ
(発行) 瞑想社
(発売)(株) めるくまーる