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「お喋りなマインド」03

(…マインドが主人であれば、瞑想的な状態は存在しない。
あなたの意識が主人であるときはじめて、瞑想的な状態が存在する。)

だから、瞑想とは この機能をつかむこと、この機能の 主人になることだ。
マインドと その言語的機能は、究極のものではない。

あなたは それを超えている。
存在は それを超えている。

意識は それを超えており、存在は それを超えている。
意識と存在が ひとつであるとき、そこには 感応交流がある。

この状態が 瞑想と呼ばれる。

意識と存在とのあいだに起こる交感こそが 瞑想だ。


 言葉は 落とされねばならない。
それを脇に押しやったり、抑圧したり、消去したりしなければならない ということではない。

私の意味するところは、社会のなかで必要なものが 一日二十四時間の習慣になっているが、そうである必要はない ということだ。

歩くときには 足を動かさなければならないが、坐っているときには 動かす必要はない。

坐っているあいだも 足が動きつづけているなら、あなたは 気違いだ。

それなら、両足は狂っている。

あなたは それを停止できなければならない。

同じように、誰とも 話していないとき、言語は そこにあるべきではない。

それは 話すための道具であり、伝達のための技術だ。

何かを伝えているときには言語は使われるべきだが、誰にも意を伝えるのでなければ、言語は そこにあるべきではない。

もし それができれば---理解すれば それは可能だ---あなたは 瞑想のなかへと成長することができる。

私は、「あなたは成長できる」と言う。
なぜなら、生とは けっして死んだ「付け足し」のようなものではなく、つねに成長する過程(プロセス)だからだ。


 それゆえ、瞑想とは ひとつの成長のプロセスであり、たんなる技法ではない。

技法は つねに死んでいる。

それは、あなたに付け足すことができる。
だが、プロセスは つねに生きている。

それは成長し、拡大する。


 言語は必要であり、大切なものだが、つねに そこにとどまるべきものではない。

…04に 続く

MEDITATION
THE FIRST AND LAST FREEDOM by OSHO,
「新瞑想法入門」
(翻訳) スワミ・デヴァ・マジュヌ
(発行) 瞑想社
(発売)(株) めるくまーる