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第十章、「昨日もなく、明日もなく、今日もない」20

 
 “言葉よ! 道は言語を超えている。そこには、

 昨日もなく、

 明日もなく、

 今日もない。”



 最後のことだ。
僧サンは、言語とは 時間があってこそ可能なもの、言語と時間は 同じゲシュタルトだ、と言っている。

言語に 三つの時制があるのはそのためだ。

過去、現在、未来、まさに時間と同じだ。

過去、現在、未来、言語とは 時間だ。
時間と同じ範疇に 分けられている。

そして〈生〉は 超越している。
〈生〉は 過去ではない。
過去が どこにある、どこにも 見つけることはできない。


 ある時、大博物館へ 一人の男が見学に来たそうだ。
その男は 大金持ちだったので最上の案内人がつけられた。

男は ある頭蓋骨を見て尋ねた。
「これは誰かね」

 案内人は 本当は知らなかったのだが、
 「これはナポレオンの頭です」と 答えた

 男は 小さな頭蓋骨の前で 再び尋ねた。
この大金持ちをひどく畏れて、緊張していた案内人は、すっかり上気って 答えた。
 「これも ナポレオンの頭です」

 そこで金持ちの男は 言った。
 「どういうことだね。頭が二つかね」

 そこで案内人は 窮地に陥ったが、何とか答えなければならない。
そこで彼は言った。
 「はい。これが 少年時代の頭で、あっちが大人になってからの頭です」


 過去が存在するなら、少年時代の頭も あるだろうし、たくさんの頭が あるはずだ。
死ぬ時には、人は無数の頭を 残して行くことになる。

だが、人は 無数の頭ではなく、たったひとつの頭しか残さない。
過去は消える。

過去は どこにもない。

記憶の中にあるだけだ。


 どこに 未来があるかね。
未来は どこにもない。

想像の中にあるだけだ。

過去とは、今は もうないもの、未来とは、まだ来ていないものだ。


 だからこそ、神秘家たちは 常に、現在しかない、と言って来ているのだ。

だが、僧サンは もう一歩を進めて言う。

 “昨日もなく、
 
 明日もなく、

 今日もない。”


 現在すらない。

僧サンは 何を言っているのだろう。

彼は 正しい。

絶対的に 正しい。

もし過去がなく、未来がないのなら、どうして 現在が あり得よう。

というのも、現在は、過去と未来の間にしかないからだ。



 現在とは 何か。
ひとつの通路だ。

人は 過去から未来へ異動する。
その異動の中に、まさに 一瞬だけ、現在がある。

現在とは何か。
それは 過去から未来への 通路に過ぎない。

この部屋から あの部屋への 扉だ。

だが、もしこの部屋も、あの部屋も存在しないとしたら、どうして 扉だけが あり得よう。

それは 過去と未来の間の 橋だ。

両岸が ないのに、橋だけが どうしてあり得よう。


 僧サンは正しい。
僧サンは 過去も、未来も、現在もない と言う。

僧サンは、時間はない と言っているのだ。

そして、言語は すべて時間に依存している。
過去と、未来と、現在に。

言語は 精神(マインド)の 創造物だ。

時間もまた 精神(マインド)の創造物だ。


 人が 言語を 捨てれば、時間は消える。

考えることを 落とせば、過去もなく、現在もなく、未来もない。

人は 時を超えて行く。

時は ない。
時がなければ、そこに永遠がある。

時がなければ、人は 永遠の世界に入っている。

真理は 永遠だ。

そして 人が手にいれたものは すべて、その真理の 束の間の 反映に過ぎない。


 それは、ちょうど 月が天空に 昇ったようなものだ。
満月の夜、湖の中を覗き込むと、そこに 月がある。
この月が あなたが持っているすべてだ---その 湖の中の月が。

心(マインド)は 映し出す。

人が持つ すべての真理は、心(マインド)によって 映し出されている。

それは 鏡像だ。


 僧サンは 何を言っているのか。

僧サンは 言っている。

「この湖を忘れよ。
 それは 鏡だからだ。
 その 彼方を 見よ。
 そうして初めて、本物の月を 見ることができるようになる。
 そして、それは確かにある」と。


 だが、あなたは あまりにも その湖に、映し出す心(マインド)に 自己同化している。

心(マインド)を 落としなさい。

そうすれば 突如として、なくしていたものすべてが ぴったりと嵌まる。

捜し求めていたこと すべてが起こる。

いつも 夢見、望んでいたことの すべてが そこにある。

あらゆるものが 満たされている。


 メッセージの すべては、いかにして 思考(マインド)から、言語から、時間から 脱け出すかだ。




…「第十章 昨日もなく、明日もなく、今日もない」おわり


NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所