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第十章、「昨日もなく、明日もなく、今日もない」13

(…議論することで、人はエネルギーと時間を浪費するだけだ。)

それより、それ を楽しむがいい。
その中に 溶け込むのだ。

むしろ それを 喜びなさい。

それを 生きなさい。

すると、それを生きたら、人は 自分のまわりに 真実の香りを漂わせ始める。

自分が その中に生き、それを 喜ぶなら、何か大きなものが、無限な何かが、有限な自分の存在によって 表現され始める。

やがて、自分の境界も融け、やがて 自分が消える。

一滴の水が 大海に落ち、そして 海になる。


 議論に時を 費やしてはいけない。
哲学者は 愚か者だ。
それも普通の馬鹿より ずっと危険だ。

というのは、普通の馬鹿は ただ馬鹿なだけだが、哲学者は、自分を賢いと思っているからだ。

そして この人たちは 議論を続ける。

ヘーゲルやカントを見なさい。
全生涯を 議論し続け、しかも 決して どこにも到ることはない。


 ある女性が、イマヌエル-カントに 求婚したことがある。
その女性は カントとの結婚を望んでいた。

「分かりました。
それについて 考えてみましょう」と カントは言った。

思索家の、偉大な思索家にして偉大な論理家のカントに、どうして 一歩を踏み出すことができよう。

たとえ それが 愛であっても、まず それについて 考えなければならない。

カントは 考えて、考えて、考え抜いたという。

そして、賛成、反対の論拠を すべて集めた。
愛に 反対する人も、愛に 賛成する人も、結婚に 反対の人も、結婚に 賛成する人もいるからだ。

そして、その人達が 議論してきている。
そこでカントは、結婚と愛について 賛否両論のデータを すべて集めた。

結婚についての賛否両論を 三百も 集めたと言われている。

カントは ひどく混乱してしまった。
どうすべきか。
どう決めるべきか。


 努力に努力を重ね、カントは ついに 結婚についての賛成意見を ひとつ余計に発見した。

その意見とは こうだった。
もし、どちらも可能で、二つの選択が 同等に 見えるようなら、その時は より多くの経験を与えてくれる方を 選ぶべきだと言うのだ。

結婚すべきか 結婚すべきでないか、まったく同じだけの議論があるのなら、自分は独身で、これまでに そちらは知っているのだから、結婚した方がいい。

それなら 少なくとも、自分にとっては 新しいことだ。
議論が すべて同等の時には、どう決めるべきか。

よし、一歩を踏み出し、経験によって結婚を知ろう。

 そこでカントは その女性のもとを訪ね、扉を叩いた。

父親が 扉を開けた。
そこでイマヌエル-カントは 言った。
「私は決めました。
お嬢さまは いらっしゃいますか」

父親は言った。
「遅すぎましたな。
娘は 三人の子供の 母親になっていますよ」

あれから二十年も 経っており、そんなに 永く待つほど 女は馬鹿ではないからだ。


 女は 常に 男より賢い。
本能的に賢い。

女性に 偉大な哲学者が現れないのは そのためだ。

女性は 愚か者ではない。
女性は より本能的、より直感的であり、より自然に近く、議論よりは 生きることに関心がある。


 男にとって、女が 常に 大きな問題ではなく、ちっぽけな こと、ドレスとか、装飾品といった 極めて些細なことに 関心を持っているように見えるのは そのためだ。

だが いいかね、女性が 小さいことに こだわるのは、〈生〉が 小さなことで 成り立っているからだ。

偉大な問題は 観念(マインド)の中にしかない。
〈生〉の中にはない。

神は存在する と 決めようが、存在しない と決めようが、そんなことでは 何も変わらない。

一日に 二回は 食べなければならないし、寒ければ 厚着をしなければならないし、暑過ぎれば 日陰に入らなければならない。

神は存在する と決めようが、存在しないと決めようが、何も変わらない。
〈生〉は、小さなことで できている。

そして、もし〈生〉が 小さなことで できているとしたら、小さなことは、小さくはない。
なぜなら、〈生〉は それから成っており、それに生命(イノチ)が 宿っているのだから。



 “疑いと、議論に時を浪費してはならない。

 そんなことは、この真実とは何の関係もない。

 一即一切の世界を歩み、

 識別することなく融解し去れ。

 この覚醒に生きることが、

 不完了を思い煩わずに生きることだ。

 この「信」を生きることが「不二」への道。

 「不二」こそ「信」と同じものだからだ。”


 実に、実に 意味の深い言葉だ。
もし 言葉を超えたものを 見ることができたら、もっと意味が 深くなるだろう。


 “一即一切の世界を歩み。
 識別することなく融解し去れ。”


〈生〉は ひとつの有機体だ。
何ひとつ 分割されてはいない。


…14に 続く


NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所