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第十章、「昨日もなく、明日もなく、今日もない」08

(…薔薇が重要なのではなく、「薔薇」という言葉が重要だというわけだ。)

 そして、人間が あまりにも言葉に中毒され、あまりにも 言葉に酔ってしまったために、言葉そのものが 反応を呼び起こせるほどになってしまった。

「レモン」と 言われれば、口には唾が出始める。

これは 言葉中毒だ

本物のレモンでさえ、それほどの効果はないかも知れない。
レモンが 食卓の上にあっても、唾は 出ないかも知れない。

だが「レモン」と 言われれば、口には唾が溜まって来る。
言葉の方が 本物より重要になってしまった。

これが 秘訣だ。
この言葉中毒を 落とさないかぎり、真実には 出会えない。
他に 障害はない。


 まったく言葉なしで いてみなさい。
と、突如として、それ は そこにある。

それは 常に そこにあった。
突然、視界は はっきりとし、人は 明晰性を達成する。

すると すべては光り輝いている。

あらゆる瞑想の 努力のすべては、いかにして 言葉から降りるか ということに過ぎない。

社会から脱落しても 役には立たない。
なぜなら 社会とは、もともと言葉に他ならないからだ。


 動物社会が 存在しないのは そのためだ。
言葉を持たないからだ。

考えてもみなさい、もし 話すことが できなかったら、もし 人に 言葉がなかったら、どうやって社会が存在できるかね。

不可能だ。

誰が 妻になるのか。
誰が 夫になるのか。

誰が 母親で、誰が 父親になるのか。


 言葉がなくては どんな境界もあり得ない。
動物に 社会が存在しないのは そのためだ。

また、例えば 蟻や蜂のように、もし社会が存在するなら 言語が あるに違いないと 考えることができる。

そして、今では科学者は、蜂には 言葉があることを つきとめた。
たった 四語の ちっぽけな言葉だが、とにかく蜂には言葉がある。

蟻にも 言葉があるに違いない。
蟻の社会は 実に組織化されていて、言語なしに 存在し得るようなものではないからだ。


 社会は 言語故に存在する。
人が 言語から抜け出た 瞬間、社会は消える。

何も ヒマラヤに行く必要はない。

なぜなら、たとえ外見は 独りでも、そこに言葉を 持ち込んでいれば、内面には 社会があることになるからだ。
友達と語り、自分の妻や 他人の妻と愛を交わし、売ったり買ったりを することになる。

世間で やっていたことを、何もかも 続けることになる。


 ヒマラヤは ひとつしかない。
それは、言葉の存在しない 内なる意識の状態だ。
そして それは可能なのだ。

言葉とは 訓練であって、あなた方の 本質ではないからだ。

あなたは 言葉なしに生まれた。
言葉は 後から与えられたものだ。
人は 本来それを持って来ているのではない。

それは 本質ではない。
社会の 産物だ。


 喜びなさい、そこから抜け出られる 可能性があるからだ。

もし、人が 生まれつき それを持っているのなら、そこから 抜け出る道は なかっただろう。


…09へ 続く

NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所