第十章、「昨日もなく、明日もなく、今日もない」02

(…人は信じる。何しろ、これが本当か嘘かを知るすべはないからだ。)

あれほど ぐっすり、意識もなく眠っているのに、どうして本当か嘘かなど知ることができよう。

何事にせよ 真実は 覚めていることによってしか知り得ないのに、自分が 覚めていないのだから。

しかも、その夢は 美しく、深い必要を満たしてくれている。
その上 何を思い煩うことがあろう。
どうして 本当か嘘かを はっきりさせる必要があるだろう。


 自分が幸福なら、人は 決してそれが 本当か嘘かを知ろうなどとはしない。
自分が 本当であって欲しいのだ、その方が 望ましいのだから。

それに、そんなことを考えようとするのは 危険だ。

本当ではないことが 分かってしまうかも知れない。
そうなったらどうする。
だから 目を開けない方がいい。

その夢は 素晴らしいし、眠りはいいものだ。
ぐっすり 休んだ方がいい。



 夜中に、どうしてもトイレに 行きたくなれば、たちまち夢を見て、自分は トイレの中にいる。
こうして 夢は眠りを守る。

さもなければ、起きて行かなければならなくなる。
膀胱が いっぱいで不愉快になってくる。
トイレに行かなければならなくなる。

 だが、夢が守ってくれる。
夢は
「さあ、トイレに来たよ。
もう済ませた。
もう 寝てもいい」と言う。

膀胱は いっぱいのままだし、不愉快さも そのままだが、夢が 気持ちのいいオブラートをかけて 我慢しやすくしてくれる。

現実には 状況は同じままだが、夢が 現実が変わったような 偽の幻像を与えてくれる。


 それなら、夢の 深い意味とは何か。

深い意味は こうだ。
ありのままの現実は あまりにも荒々しく、人には耐えられない。

あるがままの 裸の現実は厳しすぎる。
人には それを耐える 準備がない。

夢が その隙間を埋める。

耐えられる程度の現実を 夢が与える。

人が適応できるような現実を 思考作用(マインド)が 与えるのだ。



 成長すればするほど、夢を見ることは 少なくなる。
なぜなら 適合するのに 問題は なくなるからだ。

成長すればするほど、それだけ夢は少なくなる。

もし、完全に覚醒の中に 成長したら、夢見は 止まる。

完全に目覚めたら、人は 実在を変えようとは望まず、ただ それと ひとつになるからだ。

実在とは闘わない。

というのも、完全に目覚めたら、実在は 変えられないことが 分かるからだ。

変えられるのは すべて自分の態度、自分の 思い(マインド)だ。

実在は 同じままだ。


 人に 実在を変えることはできない。
人に変えられるのは、この偽りの 思考(マインド)過程だけだ。


…03へ 続く

NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所