第十章、「昨日もなく、明日もなく、今日もない」01

 
 “ここも空、そこも空、

 だが、無限の宇宙が常に眼前にある。

 無限大と無限小に何の違いもない。

 定義は消え、境界はもうないからだ。

 存在と非在もまたその通り。

 疑いと、議論に時を浪費してはならない。

 そんなことは、この実在とは何の関係もない。

 一即一切の世界を歩み、

 識別することなく融解し去れ。

 この覚醒に生きることが、

 不完了を思い煩わずに生きることだ。

 この「信」を生きることが「不二」への道。

 「不二」こそ「信」と同じものだからだ。

 言葉よ!  道は言語を超えている。そこには、

 昨日もなく、

 明日もなく、

 今日もない。”



 人間は、言葉の、記号の、言語の故に、迷っている。
実在の中で 迷っているのではない。

人は 言葉の夢の中で 迷っている。

なぜなら 実在は常に 人の目の前にあるが、人は 常に 実在の前にいないからだ。

どこか 他の所にいる。
いつも 別の所だ。

なぜなら人は 思考(マインド)であり、思考(マインド)とは 横道に逸れることだからだ。

 思考(マインド)とは、人が今、現にあるものを 見ていないということ、それ について 考えているということを意味している。

その「 に ついて」が問題だ。

その「 に ついて」が 実在を取り逃がすやり方だ。

哲学とは 実在を取り逃がす道だ。
それ について考えたとたん、その目標は 決して届かぬ所へ遠ざかる。


 考えるとは どういうことだろうか。

それは 代用品なのだ。

自分で 愛を知っていたら、決して それについて 考えたりはしない。

それについて 考える必要などない。

自分が 愛を 知らなかったら、それについて考える。
実際、知らないこと以外に 考えることなどない。
が、考えることで どうやって、愛を知ることができよう。

それは 実存の経験であって、理論でも、思索でもないからだ。

それ を知るためには、自分が それに ならなければならない。


 なぜ 頭(マインド)は 経験もしていないことについて考えるのか。

これが代用行為だからだ。

全存在が その必要を感じている、どうしたらいいのかと。

それについて 考えるだけで、まるで何かが 起こってでもいるかのように、自分が 何か経験してでもいるかのように、人は 少しほっとする。

これは 夢の中でも起こる。

目覚めている時にも起こる。

眠っていようと 起きていようと思考(マインド)は 同じだからだ。


 夢は すべて代用品だ。
そして 考えることも すべてそうだ。

というのは、考えるとは 目覚めている間に夢見ること、夢とは 眠っている間に考えることだからだ。

両者は 質的には違わない。
それは 同じ過程だ。

夢が理解できれば、考えることも 理解できるようになる。


 夢は より原始的だ。
だから より単純だ。

考えることは より複雑で より進化したものだから、洞察するのは より難しい。

そして、何かを洞察しようと思う時はいつでも、その 一番単純な形態から 洞察するのがいい。


 前の日 何も食べていなければ、夜になれば 食べ物の夢を見る。
王様に招かれて、おいしい ご馳走を食べている。

セックスに 飢えていれば、性的な夢を見る。

権力と地位に 飢えていれば、その代用品を夢に見ることになる。

アレキサンダーや、ナポレオンや、ヒットラーになって、全世界を支配する。


 夢とは いつも、目覚めていた時に 足りなかったものと関係している。

昼のうちに 自分が取り逃がしたものが 夢の中に入って来るのだ。

もし日中、何ひとつ 逃がすことがなかったら、夢を見ることは消えてなくなる。

全面的に満足している人間は 夢を見ない。

覚者(ブッダ)が 決して夢を見ないのは そのためだ。
この人たちは たとえ望んだとしても、夢を見ることは できない。

なぜなら すべてが完了し、終っており、何ひとつ 心(マインド)に かかることはないからだ。


 夢とは 残存物だ。
完了していない何かが その完了を求め続ける。

そして欲望とは、人が決して 満たし得ないものだ。

それは、どんどん どんどん大きくなり続ける。

どうやってみても、いつも 何かが足りない。

その穴を 誰が満たすことになるのか。
夢が その穴を満たす。


 断食をすれば、自分の中に ひとつの穴が開く。

その穴を持っているのは 気持ちのいいものではないので、夜になって、夢の中で食べる。

思考(マインド)が 自分を騙すのだ。

その食事は 現実ではない。
それは 血にならない。
夢を消化することはできないし、それで生きることはできない。

では それは 何をしようとしているのか。

ひとつのこと、人の眠りを 助けることができる、それは 睡眠薬なのだ。


 もし 夢というものが なくて、しかも自分に 満たされない欲望があったら、人は まったく眠れなくなるだろう。

眠りは 何度も破られる。

腹を すかしているのに、どうやって眠ることができるかね。

だが 夢が偽物の解決を 与えてくれる。

自分は 食事をした、美味しい ご馳走を食べた、もう寝てもいい、と。

 そして人は それを信じる。
何しろ、これが本当か 嘘かを知るすべはないからだ。


…02へ 続く

NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所