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第九章「これでもない、それでもない」11

 こんなことがあった。

 1857年、インドで イギリス人に対する反乱があった。

ある夜 一人のサニヤシン(ヒンドウー僧)が 通りを横切っていたが、そこが英軍基地だということに 気がついていなかった。

そこで 捕らえられたのだが、その男は それまでに 三十年間 沈黙の行を続けていたのだ。

警官が 男を捕らえ、イギリス人が訊問した。

 「なぜここを歩いていたのか。
 ここは進入禁止地区で、おまえ達は 許可なしに入ることはできない」

 男は黙って 立っているだけだった。
男は 話すことが できなかったからだ。
三十年間 口を利いていないのだから、仕方がなかった。

そして 男は 書くこともしなかった。
男は どんな伝達手段も用いなかった。

 みんな この男が、ごまかそうとしているのだと考えた。
それに男は 見かけからして馬鹿ではなかった。
非常に知的な人間に見えた。
その澄んだ目、その立ち居、彼は 美しい男だった。
馬鹿でも 白痴でもなかった。

 「言うんだ。さもなければ、おまえを射殺するぞ」

 だが男は 黙って立ったままだった。
そこで男は スパイに間違いない と思われた。
僧衣を着ているのは ただ変装のためで、この基地の何かを 探ろうとしていたから 何も言わないのだ、と思われたのだ。

 「言わなければ殺すぞ」
 そう言われても、男は 立ったままだった。
そこで 彼らは男を 殺した。

 男は 三十年前に、自分は 生涯で 一度しか口を利かない という誓いを立てていた。
そこで 殺される時、イギリスの兵隊が 男を槍で突き、その槍が 自分の心臓に達した時、男の口から 一言が洩れた。

それこそは 礎、東洋的理解と知恵の礎そのものだ。
それは ウパニシャッドからの 一語だ。


 男は「タットワマシ」---汝それなり---と 言って、死んだ。


 あなたも それ だ。
その〈一なるもの〉だ。
殺す者と、殺される者が 一体だとしたら 何を思い煩うことがあろう。
どうして見地を立てる必要があろう。
どうして 他人と一体に ならないのか。
他人も 自分であり、他人も自分も ともに それ なのだから---〈一なるもの〉だけが存在する。


 男が何を言ったのか 誰も理解できなかった。

男の 口を洩れたのは「タットワマシ」という サンスクリット語だったからだ。
だが、この男の 死んで行った態度そのものが 殺した者達、殺人者達にさえ 自分が 何か間違ったことをしたと気づかせた。

みんな 未だかって こんな風に死んで行ったスパイを見たことがなかったからだ。
スパイは スパイに過ぎない。
だが、この男が 死んだ時に放った至福と そのエネルギーは途方もないものだった。

基地にいた誰もが それを感じた。

それはまるで 突然 稲妻が奔ったかのようだった。

 
 もし 三十年の沈黙の後、人が 一語を吐いたとしたら、それは そうでなければならない。

それほどのエネルギー、「タットワマシ」の 一語に込められた三十年の沈黙は、原子となって爆発する。

その基地にいた者 全員が、自分のテントで 眠っていた者さえ、何かが起こったのを感じた。

だが 今となっては遅過ぎた。
それからみんなは そのサニヤシンが何を言ったのかを知るために、あるバラモンの学者を探し出した。
学者の所で、男が言ったのは 究極の言葉だった ということを知らされた。

汝それなり、タットワマシ。

在るのは〈一なるもの〉のみ、と。


…12に 続く

NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所