第九章「これでもない、それでもない」03

(…物事の世界は 流転そのものだ。
そこでは何ひとつ永続しない。 期待しないことだ。)

もし、諸行無常の この世界に永続性を期待したら、必ず心配事を作り出すことになる。

あなたは この愛が 永遠のものであって欲しい と願う。
が、この世では、何ひとつ 永遠ではあり得ない。
すべて この世に属するものは 束の間のものだ。

これこそが 物事の本性、「如」、タタターなのだ。


 だから今や、あなたは 愛が消えてしまったことを知っている。
それは悲しいことだ。
それでいい、悲しみを 受け容れなさい。
身が 震えるのを感じる。
震えを 受け容れなさい。

押し殺してはいけない。
泣きたかったら、泣きなさい。
それを 受け容れるのだ。

無理を してはいけない。
取り繕ってはいけない。
気にしてなどいないような 振りはしないことだ。
そんなことをしても役には立たないからだ。

気に病んでいるものは、気に病んでいるのだ。

妻が 立ち去ろうとしているなら、立ち去ろうとしているのだ。

愛が もうないとしたら、それは もうないのだ。
事実を相手に 闘うわけにはいかない。

それは 受け容れなければならない。


 もし、それを徐々に 受け容れたら、絶えず、痛みを感じ、苦しむことになる。

そしてもし、どんな不平もなく---仕方がないからではなく、理解しているが故に---それを 受け容れたら、それは「如」になる。

そうなったら、もう気に病んではいない。
もう どんな問題もない。
なぜなら、問題が 持ち上がっていたのは、その事実のためではなく、自分が その 起こっていることを 受け容れられなかったためだからだ。

あなたは、事実に自分の言うことを 聴いて欲しかった。


 いいかね、〈生〉が あなたに 従うことにはならない。

あなたが〈生〉に 従わなければ ならない。

いやいやながらか、あるいは 幸せそうにかは あなたの選択だ。

もし、いやいやながら従うなら、あなたは 苦しむことになる。

もし、嬉しげに従うなら、あなたは 一人の覚者になる、〈生〉は 歓喜になる。


 仏陀も 死ななければならない。
何も変わりはしない。
だが、彼は 違った死に方をする。


…04に続く

EITHER THIS NOR THAT by OSHO,
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所