読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

第九章「これでもない、それでもない」02

(…やってみてごらん。
もし病気を受け容れたら、それは雲散し始める。)

どうして そんなことが起こるのか。
それが起こるのは、人が闘っている時には いつも、そのエネルギーは 分割されるからだ。

エネルギーの半分は 病気の方へ、頭痛へ流れこみ、もう半分は その頭痛と闘っている。

ある割れ目、隙き間ができ、そして闘いがある。
本当は この闘いが、より深い頭痛なのだ。


 ひとたび受け容れたら、ひとたび不平を言うのを やめたら、闘うのをやめたら、そのエネルギーは自分の中で ひとつになる。
その裂け目は架橋される。
すると、今や 葛藤がないために、大変なエネルギーが開放される。

そのエネルギーの開放自身が ひとつの治癒力になる。
癒しは 外側からは来ない。

薬にできることは せいぜい、肉体が本来持っている 癒しの力が活動し得るように 助けることでしかない。

医者にに できることはせいぜい、本人自身の 治癒力に 気づかせてあげることでしかない。

健康は 外側から強制できることではない。
それは あなたのエネルギーの開花なのだ。



 この「あるがまま」という言葉は 実に深く働き得る。
それは 肉体の病いにも、心の病いにも、そして 最後には霊の病いにも効く。
これは ひとつの秘法だ。
それらの病いが 全部解体する。

だが 肉体から始めなさい。
それが 一番低い層だからだ。
そこで成功したら、今度は もっと高い層を試みてもいい。
もし そこで失敗するようなら、より高い層へ行くのは あなたには難しい。

 身体の どこかが具合悪いとしよう。 
寛いで それを受け容れるのだ。
そして ただ心の中で言いなさい。
言葉だけではなく、それを深く感じなさい、それが あるべき姿なのだと。

肉体は 複雑だ。
その中には 実にたくさんのものが組み合わされている。
肉体は生まれたもの、いつかは死ぬべきものだ。
それにこれは、複雑な機構だ。
どこかここか具合が悪くなって当たり前なのだ。

 受け容れて、しかも、それに自己同化しないことだ。
受け容れれば、あなたは その上にいる。
あなたは それを超えている。

闘えば、あなたはそれと 同じ水準に降りて来ている。
受容が超越だ。
受け容れた時、あなたは 丘の上にいて、肉体は 背後にとり残されている。

あなたは言う。
「そうだ。これが自然なのだ。
生まれたものは 死ななければならない。
そしてもし、生まれたものが死なねばならないとしたら、それは時には 病むこともあるだろう。
何も心配するようなことではない」と。

あたかも、それが ただ物事の世界に起こっているだけで、自分に起こっていることではないかのように。


 これが その美しさだ。
闘っていなければ、人は超越している。
もはや 同じ水準にはいない。
そして この超越が 癒しの力になるのだ。
突然 肉体は変化し始める。

そして 同じことが心の悩み、緊張、不安、苦悶にも起こる。

あなたが あることについて悩んでいるとする。
心配とは 何だろう。

事実を受け容れられない ということ、それが 心配だ。
物事が 現に起こっているのとは 別のふうに起こって欲しい。

あなたが心配しているのは、自然に 押しつけたい自分の考えがあるからなのだ。


 例えば、あなたは 年を取っていく。
あなたは 心を悩ませる。
いつまでも若くいたい。
これが 心配だ。

あなたは 奥さんを愛している。
あなたが奥さんに 依存しているのに、彼女の方は あなたから離れて 別の男性の所に行くことを考えている。

そこで あなたは心を悩ませる。
心配だ。
自分は いったいどうなるのか。
あなたは奥さんを 非常に頼りにしている。
彼女と 一緒にいれば安心だ。
もし、彼女が いなくなってしまったら、もう安らぎはない。


 彼女は あなたにとって妻であるだけでなく、あなたの母親、避難所でもあった。
そこに来れば、あなたは全世界から身を隠せた。
いつでも彼女を 頼りにできた。
彼女は そこにいる。
たとえ全世界が あなたに対立しても、彼女だけは あなたに対立することはなく、慰めてくれた。

その人が 離れようとしている。
自分は どうなるのか。
突然あなたは パニックに陥り、心を悩ませる。


 あなたは 何と言っているのだろう。
その心配によって、あなたは 何を言っているのか。
あなたは、この出来事は自分には受け容れられない、これは こうあるべきではないと言っているのだ。

あなたは それとは全然違うふうに、まさに反対を期待していた。
奥さんが、永久に自分のものであることを望んでいた。
ところが今や その人は去ろうとしている。
だが、あなたに何ができよう。


 愛が消えた時、人に 何ができよう。
どんな方法もない。
愛を強制することはできない。
妻に 自分のもとに止まるように強制することはできない。
たしかに、強制はできる---それが、みんなが やっていることだ---たしかに、強制はできる、死んだ肉体は そこに残るだろう。

だが 生きた心は そこにはない。
すると、それが 自分の中で緊張になる。


 自然に逆らって できることは何ひとつない。
愛は 開花だった。
今や その花は萎れてしまった。

そよ風が あなたの家にやってきたが、今では別の家に去ってしまった。
そういうものなのだ。
動き続け、変わり続ける。

 物事の世界は 流転そのものだ。
そこでは 何ひとつ永続しない。
期待しないことだ。

…03に続く

NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所