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第九章「これでもない、それでもない」01

 
 “このような「如」の世界には、

 自己もなく、また自己でないものもない。

 この実在とただちに調和するためには、

 疑いが起これば、ただ「二ではない」と言うがいい。

 この「不二」の中で、何一つ分離されるものもなく、

 また排除されるものもない。

 時と所は問題ではない。

 光明を得るとは、この真実相に入ることだ。

 この真理は、時空の大小を超えている。

 そこでは、一瞬の想いと、万年の永さに違いはない。”



 まず、「あるがまま」という言葉を理解しようとしてごらん。

仏陀は この言葉に信頼するところ極めて大きい。
仏陀自身の言葉では、これは タタター、「如」だ。
仏教の瞑想のすべては、この言葉を生きることにある。
この言葉が消えてしまうほどに、そして自分自身が「如」になってしまうほどに、この言葉を深く生きることにある。


 例えば、病気だとしよう。
「如」の態度とは、それを受け容れ、自分に「身体というものは そういうものだ」、 あるいは「これがことのありようだ」と言うことだ。

闘うことをしない、苦闘し始めない。

頭が 痛いなら、それを受け容れなさい。
それが あるべき姿なのだ。
すると、突然 ある変化が起こる。
なぜなら、このような態度が入って来れば、変化は影のように従うからだ。

もし、頭痛を受け容れることができたら、頭痛は 消える。


 やってみてごらん。
もし、病気を受け容れたら、それは雲散し始める。


…02に続く

NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
「信心銘」
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所