第八章 信を生きる by OSHO, (02)

( …〈生〉は両極性の中に存在する。だが思考(マインド)は 一方の極にしか存在し得ない。)


だからこそ思考(マインド)は 偽りなのだ。

そして 思考(マインド)は その一部分を 全体にしてしまおうとする。

思考(マインド)は言う。
「私は この人が好きだ。そしてただ愛している。
どうして、私に この人を憎むことなどできよう。
愛している時、私にあるのは愛だけだ。
憎むことなど、不可能だ」と。


 思考(マインド)は 論理的に見える。
だが、それは間違っている。

愛していれば、憎しみは可能だ。

憎しみは、愛していなければ 不可能だ。

愛することなしに、人を憎むことはできない。

まず、友達にしてからでなければ、人を敵に まわすことはできない。
両者は 手を携えている。
まさに ひとつの 銅貨の両面なのだ。

一面を見れば、もう一面は 裏に隠れる、だが もう一面は ある、常に控えている。

そして、左へ動けば 動くほど、ますます右へ行く 準備を整えることになる。


 もし、思考(マインド)に 両方を同時に見ることができたら、何が起こるだろうか。

そうなったら、思考(マインド)は 存在できなくなる。
そうなれば 事のすべては、あまりにも馬鹿げて、非論理的に なってしまうからだ。

思考(マインド)は 論理的な枠組の中でしか 生きられない。
明瞭で、矛盾は許されない。

人は「この人は 私の味方で、あの人は 私の敵だ」と言う。
決して
「この人は 私の味方で、敵だ」とは 言わない。
そんなことを言ったら、非論理的になってしまう。

そして、もし あなたが 非論理的なことが入って来るのを 許したら、それは思考(マインド)を 完全にしめ出す---マインド(思考)は落ちる。


…(03)に続く