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「瞑想」は、あなたの---真、善、美---の 扉を開く---。

 「大いなる静寂」P. 50--

 瞑想は、インドの手法ではない。
 それは たんなる技法ではない。
 それを学ぶことはできない。
 それは成長だ。
 全面的な生き方から出てくる
 全面的な生き方における成長なのだ。

 瞑想は、あるがままの自分に付け足せるようなものではない。
 それを付け足すことはできない。
 それは、ただ根本的な変容、転換を通じてのみ あなたのもとへやってくることができる。
 それは、花開き、成長することだ。

 成長は、つねに全面性のなかからやってくる。
 それは、付け足せるものではない。
 ちょうど 愛と同様、それを付け足すことはできない。
 それは、「あなた」から、その全面性のなかから成長する。
 あなたは、瞑想に向かって成長しなければならない。


 「大いなる静寂」
 静寂(サイレンス)とは通常、否定的で、虚ろで、音や騒音などの不在だと理解される。

この誤解が ひろくゆきわたっているのは、ごく少数のものしか静寂を体験したことがないからだ。

静寂の名において 人々が体験しているのは、音が無い ということだけだ。
だが、静寂とは 全面的に異なった現象だ。

それは 完全に肯定的(ポジティブ)だ。
それは 実在的であり、虚ろではない。
それは、かつて聞いたこともないような音楽や、あまり親しみのない香り、内なる眼によってのみ見えるような光で溢れている。


 静寂とは 架空のものではない。
それは実在だ。
しかも、あらゆる人の内側に すでに現存する実在なのだ。

だが、私たちは けっして内側を見ようともしない。
内なる世界には、それ自体の味わいがあり、それ自体の香りがあり、それ自体の光がある。

それは、まったく静かであり、計り知れぬほど静かであり、永遠に静かだ。
そこには、かつていかなる音もなく、これ以降もないだろう。
いかなる言葉も そこまでは届かない。
しかし、あなたは 辿りつける。


 自己の〈存在〉の中心は サイクロンの中心だ。
周囲で起こることは、そこまでは影響しない。
それは 永遠の静寂だ。
月日が経ち、年が過ぎ、時代が経過する。
生は往来するが、〈存在〉の 永遠の静寂は まったく同じままだ。

無音の音楽、神性の香り、死すべきものすべてからの、一時的なもの すべてからの超越----。

それは、あなたの静寂ではない。
あなたが 静寂そのものなのだ。

それは、自分が所有するようなものではない。
自分が所有されるのであり、そこが そのすばらしさだ。
「あなた」さえいない。
あなたの現存ですら妨げになる。

静寂が あまりに深いがゆえに、そこには誰も---自分さえも---いない。
この静寂が、真理や、愛や、その他 多くの祝福をもたらす。


MEDITATION : THE FIRST AND LAST FREEDOM by OSHO
「新瞑想法入門」和尚ラジニーシの瞑想法集大成
(訳者) スワミ-デヴァ-マジュヌ
(発行) 瞑想社
(発売) (株) めるくまーる