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「信心銘」by OSHO, 第七章、⑮

 
 朝になれば、あなたは起き出し、一日 働く。
たくさんの仕事、出会い、関係、なにもかも変化する。
様々な気分が 現われては消える。
ある時は 腹を立て、ある時は 幸福な気分になり、ある時は 悲しく、ある時は とても嬉しい。

ある時は 消極的になり、ある時は 積極的だ。


 なにもかも 変化する。
ちょうど 天気のように、あらゆるものが 変化する。
昼は 起きていて、夜になれば 眠らなければならない。
昼には 考え、夜になれば、夢を見る。

すべてが 流動し続ける。
あらゆるものが流動する中で、変わらずに止まるものを 見つけるのだ----それを目撃している者を。


 夜、人は いろいろな夢を見る。
夢は変化する。
だが、それを見ている者、目撃者は 同じままだ。


昼、人は さまざまな気分に立ち会う。
悲しみ、怒り、幸福。
気分は変わる。
だが 目撃者は 同じままだ。

健康な人は、健康に 立ち会っている。
不健康な人は、病気に 立ち会っている。
金持ちは、富に 立ち会っている。
貧乏人は、貧乏に 立ち会っている。
が、絶えることなく、ひとつのものは 同じままだ。
それは 立 ち 会 う ということだ。
その他のことは すべて原因があって起こる。
この 立 ち 会 う ということは 原因なしにある。


 誰かが 何かを言う。
あなたを 褒める。
すると いい気分になる---これは原因があって 起こったことだ。

友達が 会いに来て、あなたは 嬉しくなる---これは原因があって 起こったことだ。

誰かが 何かを言う。
あなたを 侮辱する。
あなたは 不幸せに感ずる---これは原因があって 起こったことだ。

天気が 良くない。
あなたは 悲しく、暗い気分になる---これは原因があって 起こったことだ。

晴れて、日差しが 明るい。
いい気分だ。
浮き浮きし、身体が動き、行動的になる---これも 原因があって起こったことだ。
昼間 食べていなければ、夜になって 何か美味しいものを食べている 夢を見る---これも 原因があって 起こることだ。


 自分に 起こっていることを 見てみなさい。

それは、原因があって 起こったことだろうか。
もし それが、原因があって起こったことなら、あまり気に病むことはない。

それは 幻影の世界に属することだ。
あなたが 探し求めているのは、無因の ものだ。
立 ち 会 う という そのことだけが、唯一、無因のものだと、分かるはずだ。

それは 原因があって 起こることではない。
それを 起こしている者は、誰も いない。


 祖師達が、師は 道を示すことしかできない、と言うのは このことだ。
師には、いかなる変容も 引き起こすことはできない。
なぜなら、事のすべては、決して 引き起こし得ないものを探すことだというのに、どうして師に、それを 引き起こすことができよう。
誰にも それを引き起こすことはできない。

師は、ただ 道を示すことができるだけだ。
あなたが それを 旅しなければならない。


 どんな覚者にも、あなたを 変容することはできない。
もし、覚者に あなたを変容することができるのなら、それもまた、この幻影の世界の 一部に過ぎないことになる。
なぜなら、その あなたもまた、因果によって 引き起こされたのだから。

あなた方が 私の所にやって来て、幸せな気分に なったとしたら、その気分は、因果によるものだ。
私から 離れて行って、不幸せな気分になるとしたら、その気分は、因果によるものだ。


 ただ 見ていなさい。
幸福、不幸、悲しみ、喜び----それらは、やって来ては また去る。

それは、あなたを とり囲む 乞食達だ。
立会人は、まさに その中心に止まる----無因の、不変の、〈一なるもの〉として。

自分の中の それを探しなさい。
そうすれば、すべてが明瞭になる。
あなたの内側が 明瞭になれば、あらゆるものは 透明だ。

真理は、あなたのまわり、至る所にある。
ただ、あなたが ひとつに ならなければならないだけだ。


…第七章「一切の夢がやむとき」おわり

「信心銘」NEITHER THIS NOR THAT by OSHO,
(訳者) スワミ-パリトーショ
(発行所) (財) 禅文化研究所